調べたくなる言葉
◆ジャック・ケルアック
作中では、すみれが好きな小説家。ダンス・ダンス・ダンスにも登場し、
そのときはケラワックと表記。詳細はこちらの記事参照。
代表作は、「オン・ザ・ロード」「ロンサム・トラヴェラー」。
◆ディジー・ガレスピー
1917年アメリカ・サウスカロライナ州生まれの、ジャズミュージシャン。
作中では、すみれが彼みたいなセルロイドの黒縁眼鏡を掛けていたと紹介。
以下写真を参照。
「ディジー・ガレスピー」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年11月10日 6:49 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆白樺派、ビートニク
どちらも文学の潮流の名前。白樺派は、1910年創刊の同人誌「白樺」を
中心に起こった文学潮流で、人間を肯定すること志向し、
理想主義、人道主義、個人主義的な作品を残した。主な作家は、志賀直哉、有島武郎など。
ビートニクは、ビート・ジェネレーションともいい、1950年代から60年代の
アメリカの文学潮流。保守的で中産階級的な価値観に反発し、
人間性の無条件な解放を志向した。
主な作家は、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグなど。
作中では、ミュウがビートニクとスプートニクとは間違えたことで、
ミュウとすみれが仲良くなるきっかけとなった。
◆建武の中興、ラッパロ条約
ビートニクと同様、ミュウがいつも忘れてしまう用語として登場。
建武の中興は建武の新政とも言い、鎌倉幕府滅亡後の1333年に、
時の天皇、後醍醐天皇によって行われた天皇親政のこと。足利尊氏の離反により崩壊。
ラッパロ条約は、1922年にドイツ(ワイマール共和国)とソヴィエト・ロシア
の間で締結された条約。第一次世界大戦後の両国の国交正常化がなされた。
◆「白い恐怖」のグレゴリー・ペック
「白い恐怖」は、1945年公開のアルフレッド・ヒッチコック監督による
スリラー映画。イングリッド・バーグマン、グレゴリー・ペックの主演。
グレゴリー・ペックは、1916年アメリカ・カリフォルニア州生まれの俳優。
主な出演作は「アラバマ物語」(アカデミー主演男優賞)、「ローマの休日」など。
作中では、すみれの父親の鼻筋が、グレゴリー・ペックを彷彿とさせるとあった。
「グレゴリー・ペック」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年11月10日 6:49 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆プッチーニの「ラ・ボエーム」
ジャコモ・プッチーニは1858年生まれのイタリアのオペラ作曲家。
「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「トゥーランドット」などの傑作を残した。
「ラ・ボエーム」には、作中にあるように、売れない詩人が原稿を暖炉に入れて
暖をとる場面が登場する。
◆ポール・ニザン
1905年フランス生まれの作家、哲学者。
フランス共産党に入党し、反戦・反ファシズムの活動を行った。
代表作は「アデン・アラビア」など。
作中では、「ぼく」がバスの停留所で彼の小説を読んでいるときに、
すみれに何故今どきニザンなんか読んでいるのかと話しかけられたのが二人の出会いだった。
◆モーツァルトの「すみれ」
1785年に作曲された歌曲(K476)。歌詞はゲーテによる。
作中では、すみれの名前がこの曲に由来することが述べられている。
◆すみれの好きなクラシック曲たち
すみれとミュウが出会った披露宴ですみれが語った曲たち。
■ベートーベンのピアノ・ソナタ
すみれは、ベートーベンの32曲のピアノ・ソナタを音楽史上最も重要なピアノ曲
とみなしており、なかでもバックハウスの演奏は並ぶものが無い見事な演奏と信じていた。
■ショパンのスケルツォ(ウラジミル・ホロヴィッツ演奏)
文句なしにスリリングというのがすみれの評。
■ドビュッシーの前奏曲集(フリードリヒ・ゲルダ演奏)
すみれは「ユーモアに満ちて美しい」と評した。
■ギーゼキングの演奏するグリーク
「どこまでも愛らしかった」
■スヴィアトスラフ・リヒテルのプロコフィエフ演奏
「思慮深い留保と、一瞬の造形の見事な深さ故に、どんなものでも注意深く聞く価値が
あった」とすみれは述べている。
■モーツァルトのピアノ・ソナタ(ワンド・ランドフスカ演奏)
「温かく細やかな配慮に満ちている」とすみれは評価している。
◆アストラッド・ジルベルト「アルアンダ」
アストラッド・ジルベルトは、1940年ブラジル生まれのボサノバ歌手。
「アルアンダ」は1965年のアルバム「The Shadow of Your Smile」への収録曲。
作中では、ミュウと出会って直後のすみれとぼくが入った喫茶店で流れていた。
◆『三四郎』の冒頭みたいな話
夏目漱石の1909年に発刊された小説。「それから」「門」と共に前期三部作を構成。
「三四郎」の冒頭で、主人公の小川三四郎は九州から上京する途中の名古屋で一泊する。
その際に、汽車で向かいに座った女に一人では宿が決められないので、ついて行って
良いかと言われ、断れずに同じ宿の同室に泊まることになった。
「ぼく」の場合と違い、何事も起きなかったが、翌日出発の際に、三四郎は
「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言われてしまう。
◆マーク・ボラン愛用の蛇革サンダル
マーク・ボランは、イギリスのロックバンド、T・レックスの
ボーカル、ギタリスト。
◆『ジェーン・エア』みたいな話
ジェーン・エアは、イギリスの小説家、シャーロット・ブロンテによる、
1847年の長編小説。孤児である主人公のジェーン・エアは家庭教師として雇われた
貴族の家で、主人に見初められる。「ぼく」はその環境の変化を、ミュウの友達から
高級な服をもらって、それまでの古着中心でちぐはぐな服装からの変化になぞらえた。
◆コミューンとコルホーズ
コミューンは共同体という意味だが、文脈から、私有財産を否定し、平等な労働を
原理とする共産主義的な生活共同体のことと思われる。
コルホーズは、旧ソ連の集団農場のこと。作中では、すみれがコミューンと
コルホーズを勘違いする描写がある。
◆『マック・ザ・ナイフ』の入っていない『ベスト・オブ・ボビー・ダーリン』
ボビー・ダーリンは、1936年アメリカ・ニューヨーク生まれの歌手、作曲家、俳優。
ジャズやポップス、ロックなど様々ジャンルを手掛けた。
1959年の「マック・ザ・ナイフ」は代表曲の一つで、9週連続全米1位を記録し、
1960年のグラミー賞を受賞した。
この曲はクルト・ヴァイルの「三文オペラ」に使われた「モリタート」が原曲で、
ダーリンはジャズポップ調に演奏をした。
(「モリタート」については、「悪の教典」の記事も参照)
◆グルーチョ・マルクス
アメリカ・ニューヨーク生まれのコメディアン、マルクス・ブラザーズの
4人のうちの3男。グルーチョは愛称だが、「grouch」=不平を言う、ぼやくという意味。
◆ミュウとすみれの旅行ルート
①ミラノ ②トスカーナ ③ローマ ④ヴェネツィア ⑤ミラノ
⑥パリ ⑦ブルゴーニュ ⑧ロードス島(近くの島)
◆マルタ・アルゲリッチのリスト・ピアノコンチェルト一番
マルタ・アルゲリッチは、1941年アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれのピアニスト。
リストのピアノコンチェルト1番変ホ長調は、1850年ごろ完成した
フランツ・リストの最初のピアノ協奏曲。
作中では、ミュウとすみれがローマで聴きに行ったコンサートでの演目。
◆ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニューズ
1979年に結成されたアメリカのロックバンド。1980年代を中心に活躍。
代表曲は、1985年の大ヒット映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で使用された、
「パワー・オブ・ラヴ」で全米1位を記録している。
作中では、ギリシャからミュウの電話が来た日、「ぼく」は駅の近くのバーへ行ったが、
そこで、彼らのヒット曲が流れていた。
◆ウゾー
ギリシャとキプロスで生産される無色透明のリキュール。
蒸留酒にアニスなどのスパイスで香りづけをした酒。
水を加えると、白濁する特徴がある。
作中では、「ぼく」がミュウに呼ばれてギリシャへ行った際、
急な出来事であったため、正しい場所に着いたのか自身が持てなくなっていたが、
ウゾーの広告などを見てギリシャに来たことを再確認した。
◆クールヴォアジェ
1835年創業のコニャック・ブランド。
フランスのシャラント県ジャルナックに本社を置く。
作中では、「ぼく」がミュウに呼ばれてギリシャの島へ行った日の夜に、
ミュウの空のグラスに「ぼく」がこれを注ぐシーンが登場する。
◆カリメエエラ
ギリシャ語で、おはよう、こんにちはの意。
◆フロッピー・ディスク
すみれがスーツケースに隠していた文書を保存していた記録媒体。
フロッピー・ディスクについては、「迷路館の殺人」の記事参照。
◆「ロシアより愛をこめて」に出てきたロッテ・レーニャ
「ロシアより愛をこめて」は、1963年に制作された007シリーズ映画の2作目。
ロッテ・レーニャは、ソビエト情報局のクレッブ大佐役を演じた女優。
軍服を着ていて、厳しく、ヒステリックな悪役の女性というイメージ。
だから、すみれはロッテ・レーニャは大好きだけど、あんな風に見えるのは困ると
書き残したのだと思られる。
◆ワイルド・バンチ
1969年に制作された、サム・ペキンパー監督による西部劇映画。
作中で、この映画について、「いったいどのような理由で、あれほどの大量の
流血の描写が必要なのですか?」と質問したジャーナリストがいたと
紹介されていたように、「死のバレエ」と呼ばれる壮絶な銃撃戦、暴力シーンが特徴。
◆トラベラーズ・チェック
◆フーガの技法
J・S・バッハの作品。1740年代前半に作曲が開始されたが未完。
チェンバロ、ピアノなどで演奏される。
◆ホメロスのオデッセイ
ホメロスは古代ギリシャを代表する詩人。
「オデッセイ(オデュッセイアとも)」、「イリアス」という
2大長編叙事詩を残したことで知られる。
「オデッセイ」はトロイ戦争の英雄、オデュッセウスが帰路に様々な冒険、苦難の
10年間を経て、帰郷するまでを描いた物語。作中で、同じく苦難の末に帰京を果たした
すみれが言うように「いろいろ大変だったけど、それでもなんとか帰ってきた」
という物語。
ストーリー上の謎、ネタバレ
◆スプートニクの恋人とは誰のことか?
1章で述べられているように、ミュウのこと。
もちろん、ミュウがビートニクとスプートニクを言い間違えたエピソードに
由来すると思われる。
◆すみれ消失の謎
すみれはギリシャの島で消えてしまってから、数か月後に帰京するまで、
どこで何をやっていたのか?
まず、すみれは文書1にて、以下のように記している。
もしミュウがわたしを受け入れなかったらどうする?
そうしたらわたしは事実をあらためて呑み込むしかないだろう。
「いいですか、人が撃たれたら、血は流れるものなんです」
血は流されなくてはならない。わたしはナイフを研ぎ、犬の喉をどこかで
切らなくてはならない。
この文書の後、すみれはミュウに受け入れられなかった。ということは、
すみれはどこかへ、血を流すために犬の喉を切りにいったということにならないだろうか。
ではそれはどこなのか。
すみれの2つの文書を読んだ「ぼく」は、次のような仮説を立てている。
ぼくは思い切ってひとつの仮説をたててみる。
すみれはあちら側に行ったのだ。
あちら側については、ミュウが14年前のスイスでの出来事について次のように述べている。
「私はこちら側に残っている。でももう一人のわたしは、あるいは半分のわたしは、
あちら側に移って行ってしまった。わたしの黒い髪と、わたしの性欲と生理と排卵と、
そしておそらくは生きるための意志のようなものを持ったままね(後略)」
つまり、あちら側には、14年前に分裂してしまったミュウの半分が存在しており、
そちらへすみれは入っていったのではないか、ということだ。
それでは、次に、あちら側で比喩的に、あるいは現実的に、喉を切られた哀れな犬とは、
何のことだろうか。
すみれはミュウを求めていた。しかし、ミュウはすみれの求め応じることはできない。
その理由は、14年前に、フェルディナンドあるいはフェルディナンドですらないものに、
汚されてしまったから。
だとすれば、すみれが喉を切るべき犬は、フェルディナンドあるいは(略
しかいないのでないだろうか。
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