調べたくなる言葉
◆デレク・ハートフィールド
架空の小説家。作中では1909年オハイオ州生まれで、
冒険児ウォルドシリーズなど、多数の作品を残したのち、
1938年ニューヨークのエンパイアステートビルから飛び降りて自殺している。
◆ヘミングウェイ、フィツジェラルド、そういった彼の同時代の作家
どちらも「失われた世代(ロストジェネレーション)」の作家と言われる。
失われた世代とは、青年期に第一次世界大戦を経験して既存の理想や、
価値観に絶望し、生きる指針を失った世代。
元々は、ガートルード・スタインが、
自堕落な生活を送るヘミングウェイに投げかけた言葉。
この世代に属する作家は、タイトルの二人の他に、フォークナーなど。
◆リチャード・バートンの出演した戦車映画
1953年公開の「砂漠の鼠」と考えられる。
第二次世界大戦中、北アフリカでロンメル将軍率いるドイツ軍と戦う
オーストラリア軍を描いた映画。
この映画を思い浮かべた後、出会ったばかりの男に、
鼠って呼んでくれと言われた「僕」は、何やら面白みを感じたかもしれない。
◆ルート66
1960年から4年間放送されたアメリカのドラマ。(日本では62年から放送)
ルート66はロサンゼルスとシカゴを結ぶハイウェイで、
この道を二人の若者が旅をしながら、道中のエピソードを描いた作品。
◆汝らは地の塩なり。
聖書の言葉。マタイによる福音書第5章に記載されている。
意味は、次の通り。
塩は少量で食物の腐敗を防ぐ役に立つもの。
同じように、キリストの教えに耳を傾ける人々は、少数であっても、
地≒社会の腐敗を防ぐ、立派な役割を果たしているというような意味。
続く、「塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき」は、
塩が塩味を失ってしまえば、塩としては用無しになってしまう。
つまり、多数に同調して、腐敗を防ぐ役割を放棄してしまっては、
存在意義が無くなってしまう(から気を付けなさい)という意味。
ここからは完全に個人の見解。鼠がこの言葉を引用した意味について。
鼠は「蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために」文章を書きたい。
つまりこれが、鼠にとっての塩。しかし、それが「何も書けやしない」ということは、
塩が塩味を失っている、つまり、本来書きたかったことが
上手く書けない、ということではないか。
◆戦場にかける橋
1957年公開の米・英合作映画で、アカデミー作品賞受賞作。
第二次世界大戦中の1943年、タイとビルマの国境付近を舞台に、
イギリス軍捕虜を使って川へ橋を架けようとする日本軍と、
イギリス軍捕虜たちとの対立と協力を経て、橋は完成に向かう。
作中にあるように、最後には橋は爆破される。
◆サム・ペキンパーの映画
1925年アメリカ生まれの映画監督。スローモーション撮影を駆使した、
独自の暴力描写で知られる。
作中で「僕」が好きだと述べられていた「ガルシアの首」、
妻が好きだと述べられていた「コンボイ」の他、
「ゲッタウェイ」「ワイルドバンチ」などが代表作として知られる。
◆作中に登場する音楽たち(基本的には登場順。主なもののみ)
■レイニー・ナイト・イン・ジョージア(ブルック・ベントン)
ブルック・ベントンは1931年サウスカロライナ州生まれの
R&Bシンガーソングライター。この曲は1970年発表。邦題は「雨のジョージア」
作中では、ラジオN・E・Bでかけられた。
■フール・ストップ・ザ・レイン(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル)
クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、略称CCRは、
1967年カリフォルニア出身の4人組に結成されたロック・バンド。
この曲は1970年発表。作中ではラジオN・E・Bでかけられた。
■カリフォルニア・ガールズ(ビーチ・ボーイズ)
ビーチ・ボーイズは、1961年カリフォルニアで5人の若者によって結成された
サーフ・ロックバンド。60年代アメリカ西海岸の若者文化を歌った
ポップな楽曲で知られる。この曲は1965年発表。作中では、「僕」が5年前に
修学旅行でコンタクトを無くした女の子から借りたレコードとして登場。
■ベートーベンのピアノ・コンチェルトの3番
1796年から1803年にかけて作曲された。ハ短調。作品37。
「僕」は鼠への誕生日プレゼントして購入した。
■グッド・ラック・チャーム(エルヴィス・プレスリー)
1962年に発表。ビルボードで2週連続1位を記録した。
エルヴィス・プレスリーは1935年アメリカ生まれ、
キング・オブ・ロックンロールと称されるミュージシャン。
本作の他にも「ハウンド・ドッグ」「ラブ・ミー・テンダー」等ヒット曲多数。
作中では、病気で寝たきりの少女からのリクエストとして、
ラジオN・E・Bにて掛けられた。
◆作中に登場する小説たち(基本的には登場順。主なもののみ)
□感情教育(フローベル)
1869年に発表された長編小説。
1848年のフランス2月革命前後に生きた青年、フレデリックを描いた物語。
作者は1821年フランス生まれの作家。本作以外の代表作に「ボヴァリー夫人」がある。
作中では、「僕」が鼠に生きてる作家になんて何の価値もないと話す場面で登場。
□魔女(ミシュレ)
中世ヨーロッパの魔女狩りを描いた作品。
作者は1798年フランス生まれの歴史家。本作以外の代表作に「フランス革命史」など。
作中では、「僕」の三人目のガールフレンドが死んだ半月後に読んでいた本として
登場し、一説が引用されている。
□再び十字架にかけられたキリスト(カザンザキス)
1948年に発表された現代ギリシャを代表する小説。
20世紀初頭、オスマン帝国に支配されるギリシャの村を舞台に、
復活祭から降誕祭までの期間に次々発生する事件を描いた物語。
作者は1883年、ギリシャ・クレタ島生まれの小説家。
本作のほかに「その男ゾルバ」など。
作中では、「僕」が鼠の依頼である女性に会うことになった際、
待ち合わせのジェイズバー前で鼠が読んでいた本として登場。
□ジャン・クリストフ(ロマン・ロラン)
ドイツの宮廷音楽家の息子として生まれたジャン・クリストフの誕生から、
その最後の時までを細かに描いた大長編(全10巻)
作者は1866年フランス生まれの小説家で、本作でノーベル文学賞を受賞。
代表作として他に、ベートーヴェンやミケランジェロ、トルストイの伝記などを
残している。作中では、その長さから、
ハートフィールドのお気に入りの作品として登場。
ストーリー上の謎、ネタバレ
◆僕はひとつしか嘘をつかなかった。
1969年の秋、ガール・フレンドとの会話で、「僕」は彼女から「嘘つき!」
と言われてしまう。見出しはそれに対しての「僕」の独白。
「ねえ、私を愛してる?」 … ①
「もちろん。」
「結婚したい?」 … ②
「今、すぐに?」
「いつか……もっと先によ。」
「もちろん結婚したい。」
「でも私が訪ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ。」
「言い忘れてたんだ。」 … ★
「……子供は何人欲しい?」 … ③
「3人。」
「男? 女?」 … ③’
「女が2人に男が1人。」
嘘をついている可能性があるのは、①~③の3つの問いへの回答。
(③’も、もちろん論理的にはありえるが、その場合、女2男1って言ったけど、
ほんとは女3が良かった、というような嘘をついていたことになる。
他と比べて重要度が違い過ぎるのでここではないと思いたい)
それでは、①~③のどれが嘘なのだろうか。(※以下個人的解釈)
個人的には、③だと考える。理由は、以下の通り。
引用の★部分と同じことを22章で4本指の女の子に向かって話している。
「何故いつも訊ねられるまで何も言わないの?」
「さあね。癖なんだよ。いつも肝心なことだけ言い忘れる。」
そして、それが嘘ではないことは、34章初めに
「最後に嘘をついたのは去年のことだ。」とあることから確認可能。
つまり、①、②については、本当に言い忘れていただけ、という解釈が成り立つ。
よって、嘘をついているのは③と考える。
◆「僕」がこの小説を書いたのはいつか
「僕」、鼠は「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」にも継続して
主要人物として登場するため、3作を合わせて初期三部作、鼠三部作などと呼ばれる。
(「僕」は続く「ダンス・ダンス・ダンス」へも登場)
時系列でまとめると以下の通り。
「風の歌を聴け」 1970年8月8日~26日
「1973年のピンボール」 1973年9月~11月
「羊をめぐる冒険」 1978年9月~11月
「ダンス・ダンス・ダンス」1983年3月~6月
39章で「僕は29歳になり、鼠は29歳になった」と記述されている。
また、結婚をし、東京で暮らしているという記述もされているが、
「羊をめぐる冒険」において、1978年6月に妻と離婚したことが描かれている。
ということは、「風の歌を聴け」は、「僕」が29歳になった1977年12月24日から、
離婚する6月までの間に書かれたと言えそうだ。
<次回作>
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