※この記事は講談社文庫版の下巻の前半(25~32章)のみについて記述しています。
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調べたくなる言葉
◆ハングリー・タイガー
横浜市を中心にチェーン展開をするファミリーレストラン。
主力メニューは繋ぎを使用せず、100%牛ひき肉(と塩)のみで作られる
ハンバーグステーキ。作中では、辻堂の牧村の家からの帰り道で、
「僕」とユキが寄ってステーキを食べた。
◆ディズニーランドの開園
東京ディズニーランドは1983年4月15日開園。
◆ヴェトナムとカンボジアの戦争
カンボジア・ヴェトナム戦争は、1975年から始まり、当初は国境地帯での
小競り合い中心だったが、1978年12月25日ヴェトナムはカンボジアへの全面侵攻に
踏み切り、翌年1月7日には首都プノンペンを陥落させ、クメール・ルージュを
政権から放逐した。
その後、最終的にヴェトナムがカンボジアから撤退したのは1989年9月であった。
◆FEN
Far East Networkの略で、極東にいるアメリカ軍人またはその家族向けの
ラジオ、テレビ放送網で、1945年にラジオ放送を開始した。
音楽や、エンターテイメントの番組も多く、アメリカ軍向けの放送ではあったが、
アメリカ文化を求める若者にとって、貴重な情報源であった。
1997年以降はAFN(American Forces Network)に統合。
作中では、「僕」が部屋の片づけをしながら聴いていた。
◆ポール・ニューマンの「評決」
ポール・ニューマンは1925年アメリカ・クリーブランド生まれの俳優。
アカデミー賞を3度受賞している。「評決」では主演男優賞ノミネート。
代表作は「ハスラー」「明日に向かって撃て」「ロード・トゥ・パーディション」など。
「評決」は、1982年製作のアメリカ映画。医療過誤訴訟を題材とした法廷もの。
この作品で、ポール・ニューマンは初老の弁護士を好演した。
作中では、「僕」が五反田にメイの死を話す前に空き時間に映画館で見た。
(が、考え事をしていたために、筋が分からないままであった)
◆何に手を触れてもそれが黄金に変わってしまうあの伝説の王様
ギリシャ神話に登場するフリュギア(小アジアの中西部)のミダス王のこと。
デュオニソスから、なんでも一つだけ願いを叶えてもらえることになり、
触れるもの全てを黄金に変える能力を求めて授けられた。
作中では、「僕」は何をしてもチャーミングに見えてしまう五反田を
ミダス王になぞらえた。
◆カサブランカ
1942年制作のアメリカ映画。1941年12月、親ドイツのヴィシー・フランスの
支配下にあるモロッコ・カサブランカが舞台。
ラストシーンで、主人公はレジスタンス活動家(と、その妻。主人公の元恋人)を
亡命させるために、ドイツ軍将校を射殺してしまう。
しかし、その場に居合わせたフランス人の警察署長は、ドイツへの反骨精神と、
義侠心を発揮して、見て見ぬふりをする。その彼に向かって主人公が言ったセリフが、
作中の「美しい友情の始まり」だった。
◆ビヨン・ボルグ
1956年スウェーデン生まれの元プロテニスプレイヤー。
ウィンブルドンを5連覇するなど、4大大会通算11勝を挙げた。
1983年、26歳の若さで引退。
◆トラベラーズ・チェック
海外渡航の際に、多額の現金を持ち歩かなくても済むように
発行される旅行小切手。旅行前に購入しておき、現地のホテルや銀行等で現金化する。
紛失したときに再発行を受けられることが便利な点。
クレジットカードの普及により、使用者が減り、2014年3月で日本国内では
販売終了している。
◆different strokes for different folks
イディオムとしては、十人十色、人それぞれという意味。
また、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの代表曲「エヴリデイ・ピープル」に
歌詞として登場する表現。
◆ピナ・コラーダ
ラムをベースに、パイナップルジュースとココナッツミルクを、
クラッシュドアイスと一緒にシェイクして作るカクテルの一種。
作中では、ハワイにいる間に「僕」(とユキ)が飲みまくっていた。
◆サマセット・モーム
ウィリアム・サマセット・モームは1874年、フランス・パリでイギリス人の
両親の元、誕生。小説家、医師であり諜報員としても活動した。
小説家としては、「月と六ペンス」「人間の絆」などが代表作。
若い頃、第一次世界大戦中に、ベルギーの野戦病院で勤務経験があり、
また、イギリス秘密諜報部MI6の一員として、一次世界大戦中のスイス・ジュネーブ、
ロシア革命期のペトログラードなどで活躍。
作中では、「僕」はアメのハワイのコテージが、サマセット・モームの小説に
出てきそうな部屋だと感じた。
◆「奴らを高く吊るせ」
1968年制作のアメリカの西部劇映画。クリント・イーストウッド主演。
◆ロバート・フロスト
ロバート・リー・フロストは1874年アメリカ・サンフランシスコ生まれの詩人。
ニューイングランドの農村を題材に、社会的、哲学的テーマの作品を多く残した。
ピューリッツァー賞を4度受賞している。
作中では、ディック・ノースが朗読する場面がある。
◆スリフト・ショップ
古着や家具などを寄付によって集めて販売する小売店。
非営利団体や慈善事業団体によって運営されており、
売上げが活動費に充てられる。
◆E.T.
1982年公開のアメリカのSF映画。
地球に取り残された宇宙人(E.T.=Extra-Terrestrial=地球外生命体)と、
10歳の少年エリオットとの交流を描いた作品で、世界中で大ヒット。
アカデミー賞音響効果賞、視覚効果賞、音響賞、作曲賞を受賞。
作中では、ユキが人差し指の先を「僕」の額に触れさせ、「僕」が、
そんなことをしてもそこは治らないと言うシーンがあるが、
指を怪我したエリオットにE.T.が光る指を近付けて治療するシーンが元になっている。
◆カマロ
米自動車メーカー、GMがシボレーブランドで生産するクーペ、オープンカーなど
展開がある車種。古フランス語で「友人」を意味する言葉が元。
「シボレー・カマロ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年9月25日 6:14 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆レフチェンコ発言
KGBの少佐、スタニスラフ・レフチェンコが1982年7月14日にアメリカ下院の
情報特別員会で行った発言のこと。
内容は、東京駐在時、日本の政界や財界、マスコミと接触し、日本の世論、政策が
ソ連寄りになるよう積極工作していたとの内容。
一部の協力者の実名も公表したため、世界に大きな衝撃を与えた。
作中では、ハワイから帰ってきた「僕」がメイの記事を探した新聞に
載っていた記事。
◆マリメッコ
1951年創業のフィンランドのアパレル企業。
鮮やかな色の大きな花の柄など、大胆なデザインが特徴。
「マリメッコ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年9月23日 15:02 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆作中に登場する音楽たち(基本的には登場順。主なもののみ)
・辻堂からの帰り道で聴いていた音楽
■ジョン・コルトレーン「バラード」
1926年アメリカ・ノースカロライナ州生まれのモダン・ジャズのサックス奏者。
20世紀ジャズの巨人のひとり。
「バラード」は、1962年に発表したアルバム。
■フレディー・ハバート「レッド・クレイ」
1938年アメリカ・インディアナポリス生まれのジャズトランペット奏者。
「レッド・クレイ」は1970年発売のアルバム。
・五反田と横浜へ向かう車内&帰りの車内で聴いていた音楽
■ビーチ・ボーイズ「ファン・ファン・ファン」
1964年のナンバー。全米5位を記録。「シャット・ダウン・ボリューム2」に収録。
■「カリフォルニア・ガールズ」
1965年のナンバー。全米3位。アルバム「サマー・デイズ」に収録。
■「409」
1962年のアルバム「サーフィン・サファリ」に収録。シングルとして全米76位。
シボレー・409について歌った曲。
■「キャッチ・ア・ウェイブ」
1963年のナンバー。アルバム「サーファー・ガールに収録。全米25位。
■ベン・E・キング「スパニッシュ・ハーレム」
1938年アメリカ・ノースカロライナ州生まれのソウル歌手。
「スタンド・バイ・ミー」の大ヒットで有名。
「スパニッシュ・ハーレム」は、1960年のナンバーで、全米10位を記録。
■スライ&ザ・ファミリー・ストーン「エヴリデイ・ピープル」
1967年に結成されたファンクロックバンド。
村上春樹の作品では頻繁に登場する。
「エヴリデイ・ピープル」は1968年のナンバーで、全米1位を記録。
・ハワイで大型のラジオ・カセットで聴いていた音楽
(1983年春のヒット曲)
■マイケル・ジャクソンの唄が清潔な疫病のように世界を覆っていた
おそらく、1983年1月発表の「ビリー・ジーン」(1983年3月に全米1位)、
1983年2月発表の「今夜はビート・イット」(1983年4月に全米1位)といった、
アルバム「スリラー」収録曲たちのことか。
■それよりは幾分凡庸なホール&オーツ
1969年アメリカで結成されたソウルデュオ。
おそらくは、1982年末に発売され4週連続全米1位を記録した「Maneater」など、
1982年10月発売の彼ら最大のヒットアルバム「H2O」収録曲たち。
■想像力の欠如したデュラン・デュラン
1981年にデビューしたイギリスのロックバンド。
「僕」らが聴いていたのは、1983年5月リリースの
「Is There Something I Should Know?」(邦題「プリーズ・テル・ミー・ナウ」)
の可能性が高いのではないか。この曲は、全英1位、全米3位を記録。
■ある種の輝きを有しながらもそれを普遍化する能力が幾分不足したジョー・ジャクソン
1954年イギリス生まれのミュージシャン。
1982年リリースされ大ヒットしたアルバム「ナイト・アンド・デイ」収録曲を
「僕」らは聴いていたのではないか。
以下リンクは、同アルバム一番のヒット曲「夜の街へ(Steppin’ Out)」
■どう考えても先のないプリテンダーズ
1978年にデビューしたイギリスのロックバンドで、
女性ヴォーカル、クリッシー・ハインドが率いている。
「僕」らが聴いていたのは82年リリースされ、全米トップ10に入った
「チェイン・ギャング」ではないだろうか。
■いつも中立的苦笑を呼び起こすスーパー・トランプとカーズ
スーパー・トランプは1970年デビューのイギリスのロック・バンド。
1982年に発売され、全英6位、全米5位を記録したアルバム、
「フェイマス・ラスト・ワーズ」収録曲を「僕」らは聴いていたのでは。
以下リンクは、同アルバムから「イッツ・レイニング・アゲイン」
カーズは、1978年デビューのアメリカのニューウェイブ・バンド。
1981年のアルバム「シェイク・イット・アップ」が
1983年春に一番近い時期にリリースされたアルバム。
以下リンク先は同アルバム収録曲で全米4位を記録した「シェイク・イット・アップ」
・アメのコテージからの帰り道で聴いていた音楽
■ブルース・スプリングスティーン「ハングリー・ハート」
1949年アメリカ・ニュージャージー州生まれのロック・ミュージシャン。
「ハングリー・ハート」は1980年のナンバーで全米最高5位を記録。
■J・ガイルズ・バンド「ダンス天国」
1970年にデビューしたアメリカのロック・バンド。
「ダンス天国」は、1966年にウィルソン・ピケットが歌い、
全米6位を記録した曲のカバー。1983年リリース。
・ロイヤル・ハワイアン・ホテルのバーで聴いた曲
■「ソング・フォー・ユー」
アメリカのシンガーソングライター、レオン・ラッセルが1970年に発売した
アルバム「レオン・ラッセル」の収録曲。
数多くのミュージシャンにカバーされた名曲。
■「ブルー・ハワイ」
1937年のアメリカ映画「ワイキキの結婚」の挿入歌。
1961年のエルヴィス・プレスリーなど多くのミュージシャンにカバーされている。
・ハレクラニ・ホテルの優雅なプールサイド・バーで聴いた音楽
■「フレネシ」
1910年アメリカ生まれのジャズ・クラリネット奏者、アーティ・ショーの、
1940年のナンバー。
■「ムーン・グロウ」
同じくアーティ・ショーの1956年のナンバー。
・ハレクラニ・ホテルの室内バーで聴いた音楽
■「スターダスト」
1927年にホーギー・カーマイケルが発表したジャズのスタンダード・ナンバー。
フランク・シナトラやナット・キング・コールなど数多くカバーされている。
■「バット・ノット・フォー・ミー」
1930年ジョージ・ガーシュウィンによって、ミュージカル「Girl Crazy」向けに
作曲された。その後も何度も映画で取り上げられた。
■「ヴァーモントの月」
1944年にマーガレット・ホワイティングにより発表された曲。
・部屋で佐藤春夫の短編を読むのに疲れたときに聴いた音楽
■スターン・ローズ・イストミン「シューベルトの作品100」
アイザック・スターン(ヴァイオリン)、レナード・ローズ(チェロ)、
ユージン・ジョージ・イストミン(ピアノ)によるトリオ。
「シューベルトの作品100」は、ピアノ三重奏第2番変ホ長調。
上巻前半についての記事はこちら。
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