※この記事では、講談社文庫版の下巻のみについて記述しています。
上巻についての記事はこちら
調べたくなる言葉
◆ワタナベの1回目の阿美寮訪問時、最後の夜にレイコが弾いた曲
■デサフィナード
1959年にブラジルの作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した、
ボサノヴァの名曲。その後、数々のミュージシャンにカバーされ、
ジャズのスタンダードとしても定着している。タイトルの意味は「音痴」。
■イパネマの娘
デサフィナードと同じくアントニオ・カルロス・ジョビンによって作曲された
ボサノヴァの曲。こちらは1962年発表。この曲も世界中でカバーされている。
◆ローリング・ストーンズ「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
ザ・ローリング・ストーンズについては、「グラスホッパー」の記事参照。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は彼らの代表曲の一つで、1968年発表。
全英1位を記録。作中では、ワタナベがレコード店でのバイト中に、
「どうみても中学生としか見えない女の子」の求めに応じて掛けた曲。
◆ジム・モリソンの歌に確かそういうのあった
ワタナベと緑が「紀伊國屋の裏手の地下にあるDUG」で昼間から飲んでいるときに、
ワタナベが「ここがなんだか本当の世界じゃないような気がするんだ。人々も
まわりの風景もなんだか本当じゃないみたいに思える」と言ったのに対して、
タイトルのように緑が返した。その後、ワタナベは、
「People are strange when you are a stranger」とさらに返す。
この曲は、ジム・モリソンがボーカルを務めたアメリカのロック・バンド、
「ドアーズ」が1967年に発表したアルバム「まぼろしの世界」に収録されていた、
「まぼろしの世界(原題 People are strange)」
◆セロニアス・モンクの弾く「ハニサックル・ローズ」
セロニアス・モンクについては、「色彩を持たない多崎つくると~」の記事参照。
「ハニサックル・ローズ」は、ジャズのスタンダード・ナンバーで、
元々は1929年にファッツ・ウォーラー作曲、アンディ・ラザフ作詞で作られた曲。
タイトルは、スイカズラの花の意味。
◆フォークナー「八月の光」
フォークナーについては、「ダンス・ダンス・ダンス」の記事参照。
「八月の光」は、彼の代表作の一つで1932年発表。
禁酒時代のミシシッピ州の架空の土地を舞台に、アメリカ合衆国南部社会の
人種間の軋轢を掘り下げた作品。作中では、ある日曜日にワタナベが紀伊國屋書店
で購入した書籍。
◆カインド・オブ・ブルー
1926年アメリカ・イリノイ州生まれのジャズ・トランペット奏者、
マイルス・デイヴィスが1959年に発表したアルバムで彼の代表作であるとともに、
モダン・ジャズの傑作の一つ。作中では、ワタナベが直子への手紙中において、
雨が降っている日曜日にこのアルバムをオートリピートで何度も聞いていると
書いている。
◆ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」
ヘルマン・カール・ヘッセは、1877年ドイツ生まれの作家。20世紀前半の
ドイツ文学を代表する作家であり、1946年にノーベル文学賞を受賞している。
代表作に、「車輪の下」「デミアン」「ガラス玉演戯」など。
「車輪の下」は、1905年に発表された長編小説。主人公の少年ハンスは、
優秀な成績で神学校に合格し、町中の人々から期待を受けて勉学に励むが、
その期待に押しつぶされてしまう過程を描いた作品。
作中では、ワタナベが緑の実家の小林書店で買った書籍。
◆ドリフターズ「アップ・オン・ザ・ルーフ」
ザ・ドリフターズは、1953年にアメリカ・ニューヨークで結成された
黒人コーラス・グループ。代表曲に、「ダンス・ウィズ・ミー」「ラストダンスは私に」
「オン・ブロードウェイ」など。
「アップ・オン・ザ・ルーフ」は、1962年に発表されたナンバーで、
全米5位を記録している。作中では、ワタナベが引っ越した先の吉祥寺の家の縁側で、
大家に借りたギターで練習するシーンが登場する。
◆直子の「淋しくない」葬式でレイコが弾いた曲
※)前出曲の場合は省略
■イエスタデイ
ビートルズが1965年に発表した5枚目のアルバム「4人はアイドル」への収録曲。
葬式では3曲目に演奏。
■サムシング
ビートルズが1969年に発表した12枚目のアルバム「アビイ・ロード」への収録曲。
葬式では5曲目に演奏。
■フール・オン・ザ・ヒル
ビートルズが1967年に発表した9作目のアルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」
への収録曲。葬式では7曲目に演奏。
■ペニー・レイン
ビートルズが1967年に発表した14枚目のシングル曲。
葬式では、8曲目に演奏。
■ブラック・バード
ビートルズが1968年に発表した10枚目のアルバム、
「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」の収録曲。
葬式では9曲目に演奏。
■六十四になったら
ビートルズが1967年に発表した8枚目のアルバム、
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」への収録曲。
原題は「When I’m Sixty-Four」。葬式では、11曲目に演奏。
■アンド・アイ・ラブ・ハー
ビートルズが1964年発表した3枚目のアルバム「ハード・デイズ・ナイト」
への収録曲。葬式では、13曲目に演奏。
■ヘイ・ジュード
ビートルズが1968年に発表した18枚目のシングル曲。葬式では14曲目に演奏。
■ラヴェル「死せる王女のためのパヴァーヌ」
ラヴェルは1875年フランス生まれの作曲家。代表曲に「スペイン狂詩曲」「ボレロ」
など。「死せる王女のためのパヴァーヌ」は、1899年に作曲されたピアノ曲。
(1910年には管弦楽曲に編曲されている)葬式では15曲目に演奏。
■ドビッシー「月の光」
クロード・ドビュッシーは、1862年フランス生まれの作曲家。
代表曲に「ベルガマスク組曲」「海」「子供の領分」など。
「月の光」は、1890年に作曲された「ベルガマスク組曲」の3曲目。
葬式では16曲目に演奏。
■クロース・トゥ・ユー、雨に濡れても、ウォーク・オン・バイ
全てバート・バカラック作曲、ハル・デイヴィッド作詞の楽曲。
「クロース・トゥ・ユー」は、1963年の楽曲。多くのアーティストに歌われたが、
1970年にカーペンターズが歌ったバージョンが最も有名。全米1位を記録。
「雨に濡れても」は1969年にB・J・トーマスの歌により発表され、全米1位を記録。
「ウォーク・オン・バイ」は、1964年にディオンヌ・ワーウィックの歌で発表され、
全米6位を記録。葬式では17~19曲目に演奏。
■ウェディングベル・ブルーズ
1966年にローラ・ニーロが発表(作詞・作曲もローラ・ニーロ)した楽曲。
1969年にフィフス・ディメンションがカバーし、全米1位を記録。
葬式では20曲目に演奏。
■上を向いて歩こう
1961年に発表された坂本九のシングル曲。日本のみならず、世界中でヒットした。
葬式では何曲目に演奏されたか不明。
■ブルー・ベルベット
1951年にトニー・ベネットが発表した楽曲。1963年にボビー・ヴィントンがカバーし、
全米1位を3週連続で記録した。葬式の何曲目かは不明。
■グリーン・フィールズ
1956年にイージー・ライダーズが発表した楽曲。1960年にブラザーズ・フォーが
カバーし、全米2位のヒットを記録。葬式では何曲目かは不明。
■エリナ・リグビー
1966年にビートルズが発表した13枚目のシングル曲。葬式では49曲目に演奏。
ストーリー上の謎、ネタバレ
※)作中で書かれていることに加えて、想像をプラスしなくては
仮説にしても何も言えない。想像の方向が正しいかどうかには全く自信ありません。
◆なぜ、直子は自殺したのか?
直子が自殺する前の彼女の症状として、激しい幻聴があったと書かれている。
彼女は元々、姉とキズキの自殺を経験したことで、その生の多くの部分で死を含んでいた
と考えられる。
(ワタナベの「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
という考え方より)
激しい幻聴は、彼女の中の「死」に属する部分からの、彼女を呼ぶ声であり、
結局、彼女は呼ばれてしまった。そういうことではないだろうか?
後日、ワタナベが以下のように独白していることからそのように考える。
「おいキズキ、お前はとうとう直子を手に入れたんだな、と僕は思った。まあいいさ、
彼女はもともとお前のものだったんだ。結局そこが彼女の行くべき場所だったのだろう、たぶん。
◆なぜ、ワタナベとレイコは直子の死後、寝ることになったのか?
一つ上の問いと関連するが、ワタナベは、キズキと直子によって、
レイコも直子によって、その生の多くの部分に死を含んでしまっていた。
ワタナベの「僕は自分自身を穢れにみちた人間のように感じた」という
独白から、それは生きていく上で、良くないものであったのかもしれない。
しかしながら、ワタナベは緑と、レイコは旭川で、これからも生きていかなければ
ならない。寝るという行為は極めて「生」と結びついた行為であるため、
二人が寝たことには、二人の「生」に多分に含まれている「死」=穢れのようなもの
を落とすための行為だったのではないだろうか。
コメントを残す