「ノルウェイの森」の謎・ネタバレ(1/2)

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※この記事では、講談社文庫版の上巻のみについて記述しています。
 下巻についての記事はこちら

 

調べたくなる言葉

◆フランドル派

 15世紀の初頭以降、ブルゴーニュ伯領ネーデルラントで栄えた美術の流派で、
精緻な写実が特徴。主な画家に、ブリューゲルや、ルーベンス、ファン・アイク兄弟
などがいる。作中では、ワタナベが雨に濡れたハンブルク空港を「フランドル派の
陰うつな絵の背景のよう」と表現するシーン登場する。
フランドル派全体が陰うつかどうかは、ブログ主には判断が付きませんが、
例えば、以下のブリューゲルの1565年の作品「暗い日」などは、
名前の通り、陰うつかもしれない。

Pieter Bruegel de Oude - De sombere dag (vroege voorjaar).jpg
「ピーテル・ブリューゲルの作品一覧」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
 2018年10月25日 13:15 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆ビートルズ「ノルウェイの森」

 1965年にビートルズが発表した6枚目のアルバム「ラバー・ソウル」への
収録曲。作中では、直子が最も好きだった曲として各場面で使われるほか、
もちろん本作のタイトルにもなっている。

 

◆陸軍中野学校

 諜報や防諜など情報戦に関する教育や訓練を行っていた大日本帝国陸軍の軍学校。
1938年に設立。作中では、毎朝国旗を掲揚する東棟の寮長がここの出身と言う噂だった。

 

◆突撃隊

 ナチスの準軍事組織で、通称SA(Sturmabteilung)。党の集会やパレードの警備、
他党との抗争に活躍した。しかし、SAは下層階級出身者が多く、社会主義思想に
染まる隊員も多かったため、1934年6月末から7月頭にかけて発生した、
「長いナイフの夜」事件にて、親衛隊(SS)によって、幹部が粛清され力を失った。
作中では、寮でワタナベと同室だった地図作り志望の学生のあだ名。

 

◆ラシーヌ、イヨネスコ、シェークスピア

 ワタナベが大学で学ぶはず(と講義要綱に書いてあった)の戯曲作家の名前。
ジャン・バティスト・ラシーヌは、1639年フランス・シャンパーニュ出身に
悲劇作家。代表作
に、「アンドロマク」など。
ウジェーニュ・イヨネスコは、1909年ルーマニア生まれの劇作家で、
不条理劇を得意とする。代表作に、「禿の女歌手」など。
ウィリアム・シェークスピアは、1564年イギリス生まれの劇作家。
四大悲劇(「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」「リア王」)や、
「ロミオとジュリエット」「夏の夜の夢」など代表作多数。

 

◆N360

 本田技研工業が、1967年から72年まで販売していた軽自動車。
作中では、キズキが自殺したとき、この車が使われた。
(排気パイプにゴム・ホースを繋いで、エンジンをふかせた)

HondaN360.JPG
「N360」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年10月27日 14:15 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆武蔵野のはずれにある女子大

 直子が通っていた大学だが、武蔵野のはずれ、英語の教育で有名、
こじんまりといった特徴から、小平市にある、津田塾大学のことではないかと推測。

 

◆クローデルを読み、ラシーヌを読み、エイゼンシュテインを読んだ

 全てワタナベが大学の授業で読んだ劇作家。
ポール・ルイ・シャルル・クローデルは、1868年フランス生まれの劇作家だが、
外交官としても活躍した。(1921年には駐日大使としも来日)。
代表作は「
繻子の靴」、「マリアへのお告げ」など。
ラシーヌは既出のため、省略。
セルゲイ・ミハイロビッチ・エイゼンシュテインは、
1898年ソ連のリガ(現在のラトビア)生まれの映画監督。
代表作に「戦艦ポチョムキン」など。

 

◆トルーマン・カポーティ、ジョン・アップダイク、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・チャンドラー

 ワタナベが当時好きだった作家。全てアメリカの作家。
トルーマン・カポーティは、1924年ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。
代表作に「ティファニーで朝食を」、「冷血」など。
ジョン・アップダイクは、1932年ペンシルバニア州シングルトン生まれ。
代表作に「走れウサギ」から始まる4部作がある。
スコット・フィッツジェラルドは、1896年ミネソタ州セントポール生まれ。
代表作に「グレート・ギャツビー」など。
レイモンド・チャンドラーは、1888年イリノイ州シカゴ生まれ。
代表作に「大いなる眠り」、「長いお別れ」など。

 

◆高橋和巳、大江健三郎、三島由紀夫

 ワタナベの同級生や寮生が良く読んでいた小説。
高橋和巳は、1931年生まれの作家、中国文学者。代表作に「悲の器」など。
大江健三郎は、1935年生まれの作家。
代表作に、「飼育」「万延元年のフットボール」など。
三島由紀夫は、1925年生まれの作家。
代表作に、「潮騒」「金閣寺」「豊饒の海」など。

 

 

◆「ディア・ハート」の入ったヘンリー・マンシーニのレコード

 ヘンリー・マンシーニについては、「ダンス・ダンス・ダンス」の記事参照。
「ディア・ハート」は、1964年に発表された作品。同名の映画の主題歌。

 

◆直子の部屋に有ったレコード

・「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
 1967年に発表されたビートルズの8作目のアルバム

・「ワルツ・フォー・デビー」
 ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスが1961年ニューヨークのライブハウス、
「ヴィレッジ・ヴァンガード」で行ったライブを収録したアルバム。

 

 

◆ジョセフ・コンラッド「ロード・ジム」

 ジョセフ・コンラッドは、1857年ロシア帝国のキエフ(現在のウクライナ)生まれ
の作家。海洋小説で知られる。代表作に「闇の奥」「ロード・ジム」など。
「ロード・ジム」は、1899年に発表された海洋小説。難破した船から船客を
見捨てて逃げ出したジムは、そのことを悔いてマライへ行き、原住民のために献身する。
彼はそこで、尊敬を集め、「ロード・ジム」と呼ばれるまでになるが……
というストーリー。作中では、ワタナベが永沢に借りて読んでいた本。

 

◆グリーン・ホーネット

 アメリカのテレビシリーズで、新聞社の社長が実は悪と戦う謎のヒーロー、
グリーン・ホーネットであるという設定。
テレビシリーズはアメリカでは1966年から67年にかけて放送された。
(日本でも1967年から放送された)
作中では、緑の中高の同級生の一人が、「『グリーン・ホーネット』に出てくる
運転手みたいに帽子かぶって白い手袋はめてる」という台詞がある。


「グリーン・ホーネット」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年4月3日 16:08 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

 

◆七つの水仙

 1957年アメリカのフォーク・グループ「ウィーヴァーズ」が発表した曲で、
1964年、ブラザーズ・フォーがカバーしヒットした。

 

◆緑が火事を見物しながら物干し台で歌った曲

■レモン・ツリー
 1962年にピーター・ポール&マリー発表した彼らのデビュー曲。

■パフ
 ピーター・ポール&マリーが1963年に発表し、全米最高2位を記録。

■500マイル
 元々はアメリカの民謡「900マイル」。1961年にアメリカのフォークシンガー、
ヘディ・ウェストが500マイルと改題して歌った。その後、62年には、
ピーター・ポール&マリーのデビューアルバム「ピーター・ポール&マリー」へも収録。

■花はどこに行った
 1955年アメリカのフォーク・シンガー、ピート・シーガーによって制作された。
その後、様々なアーティストにカバーされ、反戦歌として親しまれている。

■漕げよマイケル
 アメリカ黒人霊歌(スピリチュアル)として、南北戦争の頃に歌われ始めた。

 

◆映画「卒業」

 1967年にアメリカで公開された青春映画(日本では68年公開)
アメリカン・ニュー・シネマを代表する作品。
作中では、ワタナベが永沢と夜遊びに出掛けたが、珍しく女の子が捕まらなかった夜に、
一人で二回見た映画。

 

◆トーマス・マン「魔の山」

 パウル・トーマス・マンは、1875年ドイツ・リューベック生まれの小説家。
1929年にノーベル文学賞を受賞。
代表作に「ブッデンブローク家の人々」「トニオ・クレーゲル」「魔の山」など。
「魔の山」は、ドイツ教養小説の傑作とされる。
主人公ハンス・カストルプ青年が、スイス・ダボスのサナトリウムに従兄弟の
ヨーアヒムを訪れるところから物語は始まる。当初は、長居をする予定は無かったが、
自身も結核に侵されてしまったこと、サナトリウムの持つ、ある種、退廃的な空気に
惹かれて、のべ七年間の長期滞在することになる。その間、サナトリウムに滞在する、
様々な国籍、思想の持主との交流を通じて主人公の成長が描かれている。
作中では、ワタナベが阿美寮へ持って行った小説。レイコに「なんでこんなところに
わざわざそんな本持ってくるのよ」とあきれられたが、ワタナベと同じく、
ブログ主もその通りだと思う。

 

◆ライ麦畑の男の子の真似

 「ライ麦畑でつかまえて」は、1951年に出版されたJ・D・サリンジャーによる
長編小説。ライ麦畑の男の子とは、主人公であり、語り手でもある17歳の少年、
ホールデン・コールフィールドを指す。口語で、社会や大人の世界の欺瞞に対して、
苛立ちをぶつける物言いが特徴。作中では、レイコがワタナベの話し方が、
ホールデンに似ていると指摘する場面が登場する。

 

◆レイコがギターで弾いた曲(ワタナベが初めて阿美寮を訪れたとき)

■ミシェル、ノーホエア・マン
 ビートルズが1965年に発表した6枚目のアルバム「ラバー・ソウル」
への収録曲。

■ジュリア
 1968年に発表されたビートルズの9枚目のアルバム「ザ・ビートルズ」
(通称「ホワイト・アルバム」)への収録曲。

■ノルウェイの森
 既出のため、省略。

 

◆カサブランカみたいな話 

直子はノルウェイの森を聴くと、ときどきすごく哀しくなることがあるため、

レイコはリクエストされない限り弾かないというエピソードがある。
なぜ、「カサブランカ」みたいかは、「国境の南、太陽の西」の記事参照。

 

◆プラウド・メアリ

 アメリカのロック・バンド「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル」が、
1969年に発表したアルバム「Bayou Country」への収録曲。
作中では、ウサギ小屋を掃除しながら、レイコが口笛で吹いていた曲。

 

◆牧場で聴いたFMラジオから流れた曲

■ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ「スピニング・ホイール」
 ブラッド・スウェット~は、1968年にデビューしたアメリカのロック・バンド。
セカンドアルバムの「ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ」で、
1969年のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞。
「スピニング・ホイール」は、上記セカンドアルバムへの収録曲。

■クリーム「ホワイト・ルーム」
 クリームは、1966年にイギリス・ロンドンで結成されたロック・バンド。
「ホワイト・ルーム」は、彼らの3枚目のアルバム「クリームの素晴らしき世界」
への収録曲。

■サイモン・アンド・ガーファンクル「スカボロー・フェア」
 サイモン・アンド・ガーファンクルについては、「人形館の殺人」の記事参照。
「スカボロー・フェア」は、イギリスで伝統的に歌われているバラッドで、
1966年のアルバム「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」に収録。
作中で、この曲の後でワタナベが「この映画観ましたよ」というシーンが登場するが、
その映画とはこの曲が挿入歌として使われた、前出の「卒業」のこと。

■ブラームスの二番のピアノ協奏曲
 1881年に完成した曲。一番から22年の間を開けて作曲された。

 

◆「サウンド・オブ・ミュージック」のシーンみたい

 作中で、「草の匂いのする風がポーチを吹き抜けていった。山の稜線がくっきりと
我々の眼前に浮かびあがっていた」という風景を見て、ワタナベが言った言葉。
「サウンド・オブ・ミュージック」は、1965年に公開されたアメリカ映画で、
アカデミー作品賞、監督賞、編集賞、編曲賞、録音賞の5部門を受賞。
オーストリアのザルツブルクを舞台とする本映画は、アルプスの山々と緑に囲まれた
中で歌うシーンが多く登場するため、ワタナベをこう思ったのだと考えられる。

 

◆ビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」

 1969年に発表されたビートルズの12枚目のアルバム「アビイ・ロード」
への収録曲。作中では、レイコはこの曲を弾くことで、アイス・ミルクを
店のおごりにしてもらった。

 

 

ストーリー上の謎、ネタバレ

◆ワタナベと直子が約一年振りに再会した日の散歩コース

この日、彼らは四ツ谷駅(A)で降りて、「線路わきの土手を市ヶ谷の方に向けて歩いて」
いき、飯田橋(B)で右に折れ、お堀ばたに出て、それから、神保町の交差点(C)を
超えてお茶の水の坂(D)を上り、そのまま本郷(E)に抜けた。
そして、都電の線路に沿って駒込(F)まで歩いた」とある。

 

<下巻>

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