※この記事は講談社文庫版の上巻の前半(1~14章)のみについて記述しています。
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調べたくなる言葉
◆溺れ谷
地上で谷であった場所が、地盤の変動により海面下に沈み入り江となった地形。
フィヨルドやリアス式海岸もこれにあたる。
◆スバル・レオーネ
富士重工業(現・SUBARU)が1971年から2004年まで発売していた自動車。
「僕」が知り合いから安く譲ってもらった車。1983年の時点で「ひとつ前のモデル」
とのことなので、1971年から79年まで発売された初代モデルのことと考えられる。
「スバル・レオーネ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年9月26日 15:02 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆F4ファントム
1958年にアメリカのマクドネル社が開発した戦闘機。ベトナム戦争での活躍から、
日本、イギリス、西ドイツ等の西側諸国での採用が増えた。
作中では、本機の経済性を問題にする機械技師に対して、
「僕」がその無駄こそが高度資本主義社会における最大の美徳と話す場面が登場する。
「F-4(戦闘機)」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年9月17日 11:5 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆ジャック・ロンドンの伝記
1876年アメリカ・サンフランシスコ生まれの小説家。
幼いころは貧困で、中学校以上には進めず、新聞配達、缶詰工場の工員、
漁船の乗組員、鉱業作業員などの職を転々とした。
1903年に発表した「野生の呼び声」のヒットにより、流行作家となる。
1916年、40歳の若さで服毒自殺。
作中では、「僕」が函館から札幌へ向かう特急列車の中で読んでいた。
◆宮下公園に打ち込まれたガス弾
1971年11月、渋谷の宮下公園に集った中核派に対して、公園入口を封鎖した機動隊が、
催涙弾を打ち込んだことを指す。
◆バウハウス
1919年、ドイツのヴァイマルに設立された、美術、建築に関する総合的な教育を
行った学校のこと。また、その流れを組む、合理主義的、機能主義的な芸術を指す。
◆ミッソーニ、トゥルッサルディ、ポリーニ
全てイタリアの高級ファッションブランドで、ミッソーニはニット製品、
トゥルッサルディは皮製品、ポリーニは靴がそれぞれ得意分野。
作中では、高度資本主義社会の複雑化する様子を説明する比喩として使われた。
◆ジェット・セット
ジェット機で飛び回る人々のこと。転じて上流階級のこと。
◆理力があなたとともにありますように
映画「スター・ウォーズ」の名セリフ「May the forth with you」
作中では、ドルフィンホテルで、フロント係のユミヨシさんと話しているときに、
「僕」が言った言葉。冗談だと思われる。
◆作中に登場する音楽たち(基本的には登場順。主なもののみ)
・電話局に勤める女性と聞いていた曲
■ヒューマン・リーグ
1977年イギリスで結成され、80年代に活躍したエレクトロポップバンド。
代表曲「愛の残り火(Don’t You Want Me)」は80年代前半に全英、全米1位を記録。
ただし「僕」には、
「馬鹿気た名前だ。なんだってこんな無意味な名前をつけるのだろう?」
と酷い言われようをしていた。
それに対し、インペリアルズ(1964年結成)、シュプリームズ(1959年結成)、
フラミンゴス(1953年結成)、ファルコンズ(1955年結成)、
インプレッションズ(1958年結成)、ドアーズ(1965年結成)、
フォア・シーズンズ(1960年結成)、ビーチ・ボーイズ(1961年結成)といった、
60年代に活躍したバンドは「もっとまともな節度ある名前」をつけたと評価。
・「いわし」を埋めに行くときに聴いていた曲&思い出していた曲
■聴いていた曲
「僕」に「ティーン・エイジャーから小銭を巻き上げるための
ゴミのような大量消費音楽」と評された。
名前を挙げられたのはフリートウッド・マック、
アバ、メリサ・マンチェスター、ビージーズ、
KCアンド・ザ・サンシャインバンド、ドナ・サマー、
イーグルス、ボストン、コモドアズ、ジョン・デンヴァー、シカゴ、
ケニー・ロギンス
以下、上記アーティストのごく一部を紹介。
■思い出していた曲(「僕」がティーンエージャーだった頃の音楽)
ナンシー・シナトラは、「あれは屑だった」と酷評、
モンキーズも「ひどかった」と言われ、
エルヴィスは「ずいぶん下らない曲をいっぱい歌っていた」。
パット・ブーンは「洗顔石鹸を思い起こさせ」、
ハーマンズ・ハーミッツは「あれは災厄だった」と言われた。
ジェファーソン・エアプレインは「死後硬直の死体を思わせ」、
トム・ジョーンズは「名前を聞いただけで体がこわばり」
エンゲルベルト・フンパーディングは「そのトム・ジョーンズの醜いクローン」
ハーブ・アルバートとティファナ・プラスは「何を聞いても広告音楽に聞こえ」
サイモンとガーファンクルは「偽善的」、
ジャクソン・ファイブは「神経症的」と評した。
以下、上記アーティストの楽曲を一部紹介。
まだ続きます。ポジティブな捉え方をされている2曲、
ローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」は「素敵な曲だった」と言い、
レイ・チャールズの「ボーン・トゥー・ルーズ」を聴いて「涙が出そう」になった。
・ジェネシス
1967年、イギリスで結成されたプログレッシブ・ロックバンド。
作中では、ドルフィン・ホテルでユキが着ていたトレーナーにその名が入っていた。
「僕」はそれを見て「またくだらない名前のバンド」と評した。
・フィガロの結婚、魔笛序曲
「フィガロの結婚」は、フランスの劇作家ボーマルシェが1784年に書いた戯曲を元に、
1786年にウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したオペラ。
「魔笛」は、同じくモーツァルトが1791年に作曲したオペラ。
作中では、「僕」が元気を出すために前者をハミングしたが、
途中で後者であるような気がしてきて考えれば考えるほど、
違いが分からなくなったという場面がある。
・ジャック・ルーシェの「プレイ・バッハ」
ジャック・ルーシェは、1934年フランス・アンジェ出身のピアニスト、作曲家。
J・S・バッハ作品のジャズ演奏で知られる。
「プレイ・バッハ」は一連のジャス・バッハのシリーズのこと。
作中では、ドルフィンホテルの床屋でBGMとして使われていたことで「僕」は驚いた。
・札幌のバーで聴いた曲
■ジェリー・マリガン
1927年、アメリカ・ニューヨーク生まれのジャズ・ミュージシャン。
「僕」は昔よく聴いていた。
■アダム・アント
1977年結成のアダム&ジ・アンツを率いたミュージシャン。
「僕」は「なんという下らない名前をつけるんだろう」と評価した。
・ドルフィンホテルがいるかホテルに繋がる前後で聴いていた曲
■ポール・モーリア「恋は水色」
1925年フランス・マルセイユ生まれの作曲家。イージーリスニングの巨匠。
■パーシー・フェイス・オーケストラ「夏の日の恋」
パーシー・フェイスについては、こちらの「羊を巡る冒険」の記事参照。
■マイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」
正確には、聴いていた曲ではないが、同じ時期に「僕」の想像の中で、流れた曲。
■ヘンリー・マンシーニ「ムーンリヴァー」
1924年アメリカ・クリーブランド生まれの作曲家。主に映画音楽の世界で活躍。
映画「ティファニーで朝食を」でオードリー・ヘプバーンが歌った。
また、いるかホテルの暗闇からドルフィンホテルの15階に戻ったときに流れていた曲。
上巻後半についての記事はこちら。
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