「ふたりの距離の概算」の謎・ネタバレ

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調べたくなる言葉

◆後年大スパイになる男の若き日を描いた時代小説

 山田風太郎が1984年に発表した時代小説「ラスプーチンが来た」では
ないかと推測される。「ラスプーチンが来た」は、後に日露戦争の際に、
ロシアをかく乱するために、レーニンらによる、ロシア革命を支援した大スパイとなる
明石元二郎の若き日を描いたとされる。
作中では、千反田と大日向の間に何事か事件が発生したと思われる日、
同じ部室内で、折木がのんきに熱中していた本。

 

◆この間読んだ小説では時速四マイルを下回ると怒られていた。

 マラソン開始当初、伊原に追いつかれる時期を計算する折木が、ふと考えたこと。
「この間読んだ小説」とは、1979年にスティーヴン・キングが、
リチャード・バックマンのペンネームで発表した小説「死のロングウォーク」
のことを指していると思われる。この作品では、100人の少年が一斉に歩き始め、
時速4マイル以下に速度が落ちると警告を受ける。警告は3度までであり、4回目
には射殺される。最後の一人になるまで死のロングウォークは終わらない。
ただし、折木は以前、ホラーは苦手と言っていた気がするのであるいは
違う作品かもしれない……。

 

◆蒼天已死 歴研當入

 作中で歴史研の勧誘の看板に書かれていた言葉。元々は、中国・後漢末期の184年、
太平道の指導者、張角が主導した全国的な農民反乱である黄巾の乱で
唱えられたスローガン「蒼天已死 黄天當立」。

 

◆あと一人で11人いる!

 おそらくは部員が10名しかいないサッカー部の勧誘文句だと思われるが、
「11人いる!」は、萩尾望都の漫画作品のタイトルと掛けていると思われる。
「11人いる!」については、「クドリャフカの順番」の記事も参照。

 

◆かすみ網

 鳥類を捕獲するために張られる網のうち、ごく細い糸で編まれたもの。
(糸の細さから張ると霞がかかったように見えるため、この名で呼ばれる)
鳥は、網に引っかかると、反射的に網を足でつかみ、蹴り出すことで反動を得て
飛び立とうとする。しかし、かすみ網で用いられる糸はごく細く、
飛び立つのに十分な反動を得ることができない。鳥は力尽きるまで、蹴り出す動作を
続けることになる。比較的容易かつ、大量に鳥類を捕獲できてしまうため、
1947年以降は、狩猟法により、一部の調査目的以外での使用は禁止されている。
作中では、新歓で新入生を捕まえるために、鳥もちがあれば便利という千反田に対して、
折木がかすみ網の方が効率的ではというシーンが登場する。

 

◆鵯越(ひよどりごえ)

 源平合戦の一つ、摂津の福原・須磨で行われた一ノ谷の戦い(1184年3月)において、
源義経が、鵯越という急な崖を駆け下りて平氏を奇襲し、源氏に勝利をもたらした
故事がある。作中では、マラソンコースの急な下り坂のことを折木が、
「鵯越もかくや」と表現している。

 

◆諸君、こいつはいったいなんという鵞鳥だい?

 1917年2月に刊行された萩原朔太郎の処女詩集「月に吠える」に収録されている
「死」という誌の一節。全体は以下の通り。

みつめる土地の底から、
奇妙きてれつの手がでる、
足がでる、
くびがでしやばる、
 
諸君、
こいつはいつたい、
なんといふ鵞鳥だい。
みつめる土地の底から、 
馬鹿づらをして、
手がでる、
足がでる、
くびがでしやばる。

作中で、折木の誕生日を祝いに来た古典部の面々に対して、
どういう風の吹き回しだ、と言う意味で折木が引用した。

 

◆ミル・フルール

 作中では、おいしいと評判のジャム専門店。実在かどうかは不明だが、
言葉の意味は、千花模様=小さな花などの植物が一面に広がる模様のこと。

 

◆黒い猫でも白い猫でも、菓子をくれるのはいい猫だ

 中国の政治家・鄧小平の言葉は、後半が「鼠を捕るのがいい猫だ」と続く。
見た目の違いよりも実際の稼ぎが重要だという意味。さらに言えば、共産主義だろうが、
資本主義だろうが、経済を発展させる政策が良い政策だと思われる。
改革開放路線を突き進んだ氏らしい言葉といえる。

 

◆喜寿

 喜寿は77歳。草書体の「喜」が七十七と読めることから。

 

◆愛染明王と悪鬼羅刹

 愛染明王は、仏教の進行対象で、一面六臂で憤怒相。獅子の冠を被り、
宝瓶に咲いた蓮の花の上に、結跏趺坐している姿であらわされることが多い。

「愛染明王」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年12月8日 21:50 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 悪鬼羅刹は、悪鬼も羅刹もどちらも人に害をなす鬼のこと。

 

◆千反田を待ちながら

 1952年にパリで初演された不条理劇「ゴドーを待ちながら」を下敷きにした
折木のセリフ。「ゴドーを~」はアイルランドの劇作家、サミュエル・ベケットに
よる作品で、二人の人物がゴドーという人物をひたすら待ち続けるというあらすじ。
作中では、バス待合所で千反田を待つ折木が既に千反田が通り過ぎて行ってはいないか、
心配する場面でのセリフ。

 

ストーリー上の謎、ネタバレ

◆製菓研のテーブルの謎

 大きいテーブルを使いながら、使いもしないかぼちゃとコンロを置いている。なぜか?
かぼちゃはまだしも、コンロは元々使う予定があったのか?否。
製菓研は元々、新歓祭でクッキーと紅茶を出すことを予定していたからだ。
そのことは、「ティータイムあり〼」の幟を準備していたことからわかる。
では、何故製菓研は大きいテーブル&コンロ(とかぼちゃ)を乗せているのか。
それは、大きいテーブルが元々、製菓研に割り当てられたテーブルではなく、
新歓祭で山菜料理を振る舞うことになっていたお料理研に割り当てられており、
事情があって、製菓研に譲ったものだったため。
「事情」とは何か。お料理研は、山菜料理を準備する過程で部員に食中毒を出し、
それを隠蔽するために、コンロのあるテーブルを譲ったのだった。

 

◆大日向が千反田を評して言った「千反田先輩は菩薩みたいに見える」とは?

 菩薩のように見える=外面は菩薩から、「外面如菩薩内心如夜叉」ということわざ
に繋げた表現。意味は、顔は菩薩のように優しいが、心は夜叉のように陰険で、
厳しいということ。元々は女性が仏道の修行の妨げになることを言った言葉。
つまり、大日向は、千反田のことを夜叉のように陰険で厳しいと思ったのだ。

 

◆なぜ、大日向は千反田の内面が夜叉のようと思ったのか?

 大日向が唯一「友達」と呼ぶ存在、(折木の推測では)「ソウダ ソノコ」は、
金持ちの祖父を騙して大金を手に入れた。その金で、大日向と遊んでいた。
そのことを大日向を気に病んでいた。高校進学で、別々の学校になり、
大日向は「安心」した。彼女はそれを友達を見捨てた行為であるように思い、
さらに気に病んだ。
そんななかで、かねてから顔の広さから、「友達」を知っているのでは、
と疑っていた千反田が、伊原が漫研を辞めたことについて賛成する話をしたことは、
大日向には、次のように感じられた。
その「友達」は伊原にとっての漫研と同じように、大日向にとって
有害無益であり、見捨てた方が良い。
こう思いこんだからこそ、大日向は千反田の「内面は夜叉」だと感じたのだ。

 

<続編>

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