「てのひらの闇」の謎・ネタバレ

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調べたくなる言葉

◆ドゥカティ

 イタリア・ボローニャに本社をおく、オートバイ・メーカー。
1925年創業だが、当初は電子機器メーカーであった。
(現在は別会社となっているものの、電子機器メーカーのドゥカティも現存)
作中では、バー・ブルーノの店長、ナミの愛車。

「ドゥカティ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年12月16日 17:08 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆マイク・タイソン

 1966年アメリカ・ニューヨーク生まれの元プロボクサー・
身長180cmとヘビー級のボクサーとしては小柄だが、
ヘビー級離れしたフットワークとスピード、さらに急所を的確に突く
コンビネーション攻撃で幾度もチャンピオンに輝いた。
晩年は、対戦相手の耳に噛みつくなど奇行も目立った。
作中では、ナミの弟のマイクが彼に似ているとされた。

 

◆セシールカット

 1950年代末に流行した女性のヘアスタイル。作中でその髪型をしているナミが
言っているように、現在ではベリーショートの一種。1958年公開の米英合作映画、
「悲しみよこんにちは」(原作は1954年発表のサガンの同名の小説)にて、
主演女優のジーン・セバーグ(役名:セシール)がしていた髪型に由来。

 

◆均等法

 男女雇用機会均等法(正式には「雇用の分野における男女の均等な機会及び
待遇の確保等に関する法律」)のこと。
1986年4月に施行された。

募集・採用、配置、福利厚生、退職、解雇などにおける男女の差別的な取り扱いの禁止、
セクシュアルハラスメントの防止措置などを定める
(出典:「デジタル大辞泉」)

作中では、大原真理が均等法施行後の総合職三期生くらいと紹介。

 

◆コルドン・ブルー

 ル・コルドン・ブルーは、1895年フランス・パリに設立された料理教育機関。
現在では、世界30か所以上にネットワークを広げており、
日本では、東京と神戸にキャンパスを構える。作中では、パリの本校に
佐伯貴恵が通ったと紹介されている。

 

◆ロンソンのライター

 1895年、ルイス・V・アロンソンが、ニューヨークで設立したライター製造会社。
頑丈で、男性的な製品で知られる。
作中では、堀江の父が日ごろ愛用していたライターであり、自らを刺客と共に燃やした
際に使ったライター。
(以下Amazonリンク画像はロンソン社の代表作の一つ、「スタンダード」)

RONSON(ロンソン) ライター スタンダード サテン仕上げ クローム R02-0026

 

◆バー・ブルーノで掛けられたオールディーズたち

■ママス&パパス「カリフォルニア・ドリーミング」

 ママス&パパスは、1965年にアメリカで結成されたフォーク・グループ。
カリフォルニア・ドリーミング、邦題「夢のカリフォルニア」は、
彼らの代表曲で、1965年のナンバー。全米4位を記録。

 

■プロコル・ハルム「青い影」

 プロコル・ハルムは1967年にイギリスで結成されたロック・バンドで、
「青い影」は彼らのデビュー曲にして、最大のヒット曲。全英1位を記録。

 

■ビー・ジーズ「マサチューセッツ」

 1965年にオーストラリアで、ギブ三兄弟を中心に結成された、
男性ボーカル・グループ。70年代には米国に活動拠点を移し、2010年代に至るまで、
息の長い活躍をしている。代表曲には、いずれも全米1位を記録した
「ステイン・アライヴ」「愛はきらめきの中に」など。
「マサチューセッツ」は、初期の1967年の作品で、全英1位を記録している。
(日本でもヒットし、オリコン1位を記録)

 

■スコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」

 スコット・マッケンジーは1939年アメリカ・フロリダ州生まれの
シンガーソングライター。代表作は1967年にリリースされ、全米4位を記録した
「花のサンフランシスコ」。

 

■ジム・クロウチ「タイム・イン・ア・ボトル」

 ジム・クロウチは、1943年アメリカ・フィラデルフィア生まれのミュージシャン。
1972年のデビューアルバム「You Don’t Mess Around With Jim」がいきなり
全米8位を記録したが、飛行機事故により、生涯でわずか3枚のアルバムしか
残すことはできなかった。「タイム・イン・ア・ボトル」は彼の死後である
1973年12月(飛行機事故は’73年9月)に発売されたサードアルバム「I Got a Name」
への収録曲で、シングルとして全米1位を記録。

 

■テンプテーションズ「マイ・ガール」

 テンプテーションズは、1961年デビューのアメリカのソウル・コーラス・グループ。
1964年発表の「マイ・ガール」は、グループにとって初の全米1位を記録した
代表曲の一つ。

 

■キングストン・トリオ「トム・ドゥーリー」

 キングストン・トリオは1957年アメリカ・サンフランシスコで結成された
フォーク・グループ。「トム・ドゥーリー」は、19世紀に無実の罪で絞首刑とされた
トム・ドゥーラについて歌ったフォークソング。キングストン・トリオは、
1958年にこの曲を歌い、全米1位を記録した。

 

■デル・シャノン「ランナウェイ」

 デル・シャノンは1934年アメリカ・ミシガン州生まれのシンガーソングライター。
1961年のデビューシングル「悲しき街角(原題:Runaway)」が、
4週連続全米1位を記録。

 

■オーティス・レディング「アイム・カミン・ホーム」

 オーティス・レディングは、1941年アメリカ・ジョージア州生まれの
ソウル・ミュージシャン。1967年開催の「モントレー・ポップ・フェスティバル」に
出演したことがきっかけでスターへの道を歩み始めるが、わずか2か月後に
飛行機事故により死去。代表作は、事故の直前に録音された「ドック・オブ・ベイ」で、
全米1位を記録。
「アイム・カミン・ホーム」は、「ドック・オブ・ベイ」の収録曲。

■ロイ・オービソン「オンリー・ザ・ロンリー」

 ロイ・オービソンは、1936年アメリカ・テキサス州生まれのミュージシャン。
代表作は、1964年に発表され、全米・全英1位を記録した「オー・プリティ・ウーマン」。
(のちに映画「プリティ・ウーマン」の主題歌として使用された」
「オンリー・ザ・ロンリー」は、1960年のシングルで全米2位を記録。

 

ストーリー上の謎、ネタバレ

◆なぜ、石崎会長はテープをCMに使おうとしたのか?

 勝沼に脅迫されたから。脅迫のネタは、当初(吉永興産への融資)のころは、
石崎と加賀美の不倫だったが、CMについては、さらに踏み込んで、
加賀美順子と佐伯貴恵が姉妹ではなく、親子だということを佐伯貴恵にばらすことを
ネタに脅していた。

 

◆なぜ、勝沼は石崎を追い詰めてまでして、CG合成されたテープをCMに使わせようとしたのか?

 テープの主役、与田亮介を政界にデビューさせるための、イメージアップ戦略として。
育ての親である勝沼自身は、与田の政界入りを望む気持ちはなかったが、
与田本人と、新党革新の幹事長である大物政治家、佐藤則夫の意向による。
佐藤は、過去にヤクザをしていたが、勝沼はそのころから舎弟的立場の人間。
(さらに、佐藤は、佐伯貴恵の実の父親でもある)

 勝沼は、刑務所で与田の父親と知り合い、彼が亡くなった後、与田亮介を
引き取って育てた。が、どこからか、恋人の関係になった。
そのことを、佐藤に脅迫のネタとされていたような描写もある。

 

◆堀江が、問題のテープの不採用を石崎に伝えた際の返事、「感謝する」とはどういう意味か?

 テープがCMとなって流れてしまえば、おそらくは、CM化の背景、偽造映像の背景、
さらにその背後にある脅迫にまで、石崎は佐伯貴恵に伝えなければならなくなる。
堀江がそれを阻止した形になるため、「感謝する」と伝えたのだと思われる。

<続編>

 

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