「いまさら翼といわれても」の謎・ネタバレ

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調べたくなる言葉

◆火の鳥、ワイルド7、地球へ…

 小学三年生の伊原が叔母の家で読んでいた漫画。
「火の鳥」は、1954年から1986年にかけて、掲載誌を転々としながら、
描き続けられた手塚治虫の代表作の一つ。
永遠の命を持つ火の鳥と各時代時代での人間との関わりを描いた大作。
「黎明編」「エジプト編」「ギリシャ編」「ローマ編」「未来編」「ヤマト編」など、
様々な時代を舞台としている。

「ワイルド7」は、1969年から1979年にかけて、少年画報社の「週刊少年キング」に
連載された望月三起也の代表作。
相手が悪人であれば、裁判にかけずに殺すことが許されている特殊警察ワイルド7の
面々の活躍を描いた作品。メンバー全員が犯罪者であり、またバイクに乗っているという
特徴がある。

「地球(テラ)へ…」については、「氷菓」についての記事参照。

 

◆青い鳥、山椒魚、クリスマス・キャロル、走れメロス

 折木が入賞した読書感想コンクールで読まれていた書籍。(折木は「走れメロス」)
「青い鳥」は、1862年ベルギー生まれの詩人、劇作家であるモーリス・メーテルリンクが
1908年に発表した童話劇。(この作品発表後の1911年にノーベル文学賞を受賞している)
二人兄妹のチルチルとミチルが見つけると幸せになるという青い鳥を探して、
世界を旅するが、結局は青い鳥=幸せは手元にあったという話。

「山椒魚」は、1898年広島生まれの小説家、井伏鱒二が、1929年に
発表した短編小説。成長しすぎて、自らの住処である岩屋から出られなくなって
しまった山椒魚の悲哀をコミカルに描いた作品。

「クリスマス・キャロル」は、1812年イギリス生まれで、ヴィクトリア朝を
代表する小説家である、チャールズ・ディケンズが、1843年に発表した
彼の代表作の一つ。冷酷な守銭奴である商人のスクルージが、クリスマス・イヴの
夜に、3人の幽霊の訪問を受け、自らの過去・現在・未来の姿を見せつけられ、
特に悲惨な未来に衝撃を受けて改心するという話。

「走れメロス」は、1909年青森県生まれの小説家、太宰治が、
1940年に発表した短編小説。王を暗殺しようとして捕えられたメロスが、
妹の結婚式に出席するために、親友のセリヌンティウスを人質として、
3日間の猶予を求めて許される。その後の3日間を描いた作品。

 

 

◆忍者と姫と御落胤が出てくる話

 山田風太郎が1960年に発表した時代小説「江戸忍法帖」のことかと推測する。
同作では、4代将軍、徳川家綱の御落胤である主人公と、主人公の敵役、
柳沢吉保の養女、鮎姫、及び柳沢の命を受けて主人公を亡き者にしようとする忍者集団
が登場する。作中では、夏休み直前の地学講義室で折木が読んでいた作品。

 

◆なんだか、こんな昔話があった気がする。俺は誰の役だろう。知恵者?力持ち?それとも馬鹿げた踊りで扉を開かせる踊り子?

 日本神話に登場するエピソードのことと思われる。素戔嗚尊の狼藉に怒った天照大神が、
天岩戸に引きこもると世界は闇に包まれてしまう。天照大神を外へ出すために、
知恵者=思兼神が作戦を考え、踊り子=天鈿女命が岩戸の前で楽しそうに踊り、
気になった天照大神が岩戸をわずかに開けたタイミングで
力持ち=天手力雄神が岩戸を閉まらないように抑えて
天照大神を外に出すことに成功する、という話。
作中では、蔵に閉じこもる千反田を前に折木が思っていたこと。

 

ストーリー上の謎、ネタバレ

◆各短編の時系列

・箱の中の欠落…折木ら2年生の6月(作中で「六月、生ぬるい風に~」)
・鏡には映らない…折木ら2年生の4~6月?(作中で「中学卒業から丸一年と少し」)
・連峰は晴れているか…折木ら1年生の10月頃?
(直接の記載無し。ただし、アニメで「クドリャフカの順番」(10月上旬)と、
「心当たりのある者は」(11/1)の間で放送されたため)
・わたしたちの伝説の一冊…折木ら2年生の5月(作中で「五月の晴れた月曜日」)
・長い休日…折木ら2年生の4月か5月くらい
(作中で4月上旬に行われた生き雛の写真を見るシーンがあることから)
・いまさら翼といわれても…折木ら2年生の7月(作中で「明日は一学期の終業式」)

 

◆「箱の中の欠落」の謎・ネタバレ

■どのようにして不正投票が行われたのか?

 まず、神高の生徒会役員選挙の手順は以下の通り。
①特別棟一階の倉庫から投票箱を出して会議室へ運ぶ
②投票用紙を準備する(紙を切って、選管印を押し、各クラスごとに輪ゴムで束ねる)
(↑選挙前日 ↓選挙当日)
③放課後に、全選挙管理委員と立会人(総務委員長、副委員長)が会議室に集まる
④箱渡し係の選管委員が各クラスの選管に投票箱と投票用紙を渡す
 (その際、箱の中身を立会人に見せて空であることを確認する。そして鍵をかける)
⑤全クラスに箱が行き渡ったら一斉に各クラスへ戻る
⑥各クラス全員の投票が終わったら、選管は会議室へ戻り、何年何組の箱が戻ったからを
リストにチェックを入れる
⑦鍵係が投票箱の鍵を開け、選管委員は箱の中身をテーブルへぶちまける
⑧投票用紙は一度かき混ぜられてから、十人ほどの開票係に割り振られる
⑨開票係は、二十票を一束にしてクリップで止め、別の開票係と交換して、
お互いに二十票一束であることを確認。さらに立会人にも確認
⑩集計係がホワイトボードに数を書き込み、開票が終わる
⑪投票箱は翌日以降に倉庫へ戻される

以上の手順には大きな穴が以下2つある。
❶教室から投票箱を持って戻ってきた選管委員の身元チェックが無いこと
❷どの箱がどのクラスのものかということが決められていないこと

この2つが重なると、どのクラスのものでもない箱が、選管ではない人物によって
持ち込まれてもシステム上はチェックができないことになる。
(箱の数は、クラスが現在より多い時代もあり、余裕があった)

しかし、本件では、箱はまだ倉庫に戻されておらず、
会議室に一つ多い箱があったことでばれてしまった。

 

◆「鏡には映らない」の謎・ネタバレ

■卒業制作で折木は何をしたのか(何をしなかったのか)?

 一般的な鏑矢中三年五組にいた人間は折木を軽蔑しているが、
鳥羽麻美(とば あさみ)にとってはヒーロー(の片割れ)である。どういうことか。

卒業制作で、折木(の班)は本来割り当てられたデザインを彫らず、
ただ横一本の棒を彫っただけだった。
そのことが、デザインを担当した鷹栖亜美(たかす あみ)の怒りを買い、
冒頭の折木の軽蔑に繋がる。

怒りを買った理由は、単純に手抜きをされたことではなく、
鷹栖のデザインには隠された意図があり、その意図を台無しというか
裏返しにされてしまったこと。

つまり、鏡のフレームを逆さまに見ると、文字が読み取れるような仕掛けを
織り込んでおり、その文字とは「WE HATE ASAMI T」
鷹栖亜美と取り巻きは、鳥羽麻美を虐めていた。
それに気づいた折木は、読み方が変わってしまうように工夫し、
「WE HATE A AMI T」としたのだ。
だから、鳥羽にとってはヒーローであり、一方で鷹栖の怒りを買うことになったのだ。

 

◆「連峰は晴れているか」の謎・ネタバレ

■なぜ小木教諭は5月9日に限ってヘリの動向を気にしたのか?

 小木はそのときはヘリが好きだと話していたが、
その後何十回あったヘリが学校上空を飛んだ際には特別の興味は示さなかった。
従って、小木はヘリが好きなわけではなかった。
前日の5月8日、おそらくは小木の登山仲間が神垣内連峰の山へ登り、
遭難していたが、天候が悪く県警の救助ヘリが飛ぶことができなかった。
だから、5月9日にヘリが飛ぶかどうかを気にしていたのだった。

 

◆「わたしたちの伝説の一冊」の謎・ネタバレ

■なぜ伊原のノートは盗まれたのか?

 伊原が浅沼の提案に乗って、作成していた漫画のストーリーが書かれていた
ノートが羽仁によって盗まれたがその理由はなぜか?
羽仁としては、同人誌が上手くいけば円満離婚で部を分ける、上手くいかなければ
浅沼らを追い出して部を分けることができるため、どっちに転んでも
構わなかったと考えられるため、盗むメリットはなかったはず。
にも関わらず盗んだのは、羽仁の背後に引退した河内がおり、
漫研を辞めさせ、自分と組ませるために呼び出す口実とするためだった。

 

◆「長い休日」の謎・ネタバレ

■折木のモットー「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければならないことなら手短に」はなぜ生まれたのか?

 小学校時代、校内環境係にて相方の田中が、理由をつけて折木に係の仕事を押し付けて
いたことが発覚し、教師もそのことに気づいていながら責めなかったのを見て、
その他の仕事においても断らない折木が便利に使われていたことに彼は気づいた。
それで、このモットーが生まれたのだ。

 

■長い休日とはどういう意味か?

 前項目の話を折木から聞いた姉の供恵が掛けた言葉が、
「あんたはこれから、長い休日にはいるのね」だった。意味としては、おそらく、
折木は他人のために労を惜しまないだった。それをしばらく休む=やらなくても~。
また、姉は上記言葉の続きで「きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから。」
とも言っているが、高校に入って現れた誰かとは、もちろん千反田のこと。

 

◆「いまさら翼といわれても」の謎・ネタバレ

■なぜ千反田は合唱祭の会場から姿を消したのか?

 合唱祭で千反田は、ソロパートを歌うことになっていた。
そのパートの歌詞は、「ああ 願わくは 我もまた 自由の空に 生きんとて」
この歌詞は当時の千反田にとっては屈託なく歌うことができない内容だった。
なぜなら元々、千反田は豪農・千反田家の跡取りであることを受け入れ、
陣出の地で生きていくことを決めていた。にも関らず、合唱祭の直前に、
父親から跡を継がなくても良いといわれたため、人生の指針を見失って
いた状態だったからだ。つまり、「いまさら(千反田には自由の)翼(がある)」
といわれてもということだ。

 

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