「インフェルノ」の謎・ネタバレ(1/3)

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※この記事では、角川文庫版の上巻のみについて記述しています。
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調べたくなる言葉

◆大機構

 冒頭で、特定のモデルがあるようと書かれている。おそらくは事実なのだろうが、
活動内容からは、要は世界に数多存在する、民間軍事会社のことだと推測される。

 

◆ウフィツィ美術館

 フィレンツェにある美術館。建物はジョルジョ・ヴァザーリの設計で
1580年に竣工し、当初は行政機関の事務所であったためウフィツィ=オフィス
の名がついた。
年を経るごとにメディチ家の美術品が収蔵されていき、ハプスブルク家が支配していた
1769年以降、一般に公開されるようになった。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェルリ、ミケランジェロなど、
イタリア・ルネサンスの巨匠たちの作品を中心に、
イタリア屈指のコレクションを有する。

「ウフィツィ美術館」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2019年2月16日 11:04 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆ウェルギリウス

 紀元前1世紀に生きた、古代ローマ時代の詩人。
ラテン文学の黄金時代を築き上げた一人。
代表作である「アエネイス」では、トロイアの王子、アエネイスが遍歴の末、
イタリアにたどり着き、ローマ建国に至るまでを語った作品。
また、ダンテの「神曲」では、地獄の案内人を務めた。
作中では、ベルトラン・ゾブリストが飛び降りをする前に、
ウェルギリウスが導き手となることを祈る場面が登場する。

 

◆ジョット、ドナテッロ、ブルネッレスキ、ミケランジェロ、ボッティチェルリ

 ジョット・ディ・ボンドーネはフィレンツェ近郊生まれとされる中世後期の
作家、建築家で、イタリア・ルネサンスの先駆けとなった芸術家。
代表作にパドヴァの「スクロヴェーニ礼拝堂装飾絵画」、
フィレンツェの「ジョットの鐘楼」など。

「ジョット」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』から「ジョットの鐘楼」
2018年7月4日 2:50 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

 ドナテッロは、フィレンツェ生まれの、ルネサンス初期の彫刻家。
代表作に、「ガッタメラータ騎馬像」「聖ゲオルギウス像」など。

「ドナテッロ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』から「聖ゲオルギウス像」
2018年11月24日 2:18 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

 フィリッポ・ブルネッレスキはフィレンツェ生まれの、
ルネサンス初期の彫刻家、建築家。透視図法を用いた最初の人と言われる。
代表作は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ(ドーム)

「ブルネレスキ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年7月14日 2:46 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

 ミケランジェロ・ブオナローティは、フィレンツェ生まれ、ルネサンス盛期の
画家、彫刻家、建築家など、様々な分野で才能を発揮した万能の人。
代表作は「ピエタ」「システィーナ礼拝堂天井画」「最後の審判」「ダヴィデ像」など。

「ミケランジェロ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』から「ダヴィデ像」
2019年1月26日 3:43 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

 サンドロ・ボッティチェルリは、フィレンツェ生まれ、ルネサンス期の画家。
代表作に「春」「ヴィーナスの誕生」など。

ヴィーナスの誕生(1485年頃、ウフィツィ美術館)

「ボッティチェリ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』から「ヴィーナスの誕生」
2019年2月7日 17:38 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 作中では、ベルトラン・ゾブリストが飛び降りる直前にフィレンツェの街を見下ろし、
上記のような巨人たちが歩き回っていたと述懐する。

 

◆ハリス・ツイードのジャケットとサマセットのローファー

 ハリス・ツイードは、スコットランドのアウター・へブリーズ諸島産の
ツイード生地。ヴァージン・ウールを使用し、島内で染色、紡績し、
職人の手で織られることなど条件を満たした製品のみが認定される。
 サマセットは、アメリカのファッションブランド、コール・ハーンが
販売するローファーの名前。コール・ハーンは1928年に靴職人の
トラフトン・コールとエディ・ハーンがシカゴで創業。
アメリカン・トラッドを代表するブランド。
どちらも、ラングドンが愛用。

 

◆ヴェッキオ宮殿

 フィレンツェにある宮殿で、1314年にフィレンツェの政庁舎として造られ、
一時期はメディチ家も居住していた。現在でも政庁舎として使われている。
作中では、ラングドンがフィレンツェにいることに気づくきっかけとなった他、
500人広間のヴァザーリの絵画に隠された「チェルカ・トローヴァ」など、
物語のキーとなる建物の一つ。

「ヴェッキオ宮殿」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年4月5日 00:02 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆マックス・エルンスト

 1891年ドイツ生まれの画家、彫刻家。シュールレアリスムを代表する画家の一人。
作中では、ラングドンが目が覚めたらイタリアにいたことに気づいたとき、
彼の絵の中にいたような気分だったと述べている。

 

◆メンダキウム

 大機構が所有する豪華クルーザーの名前。Mendaciumは、ギリシャ神話の
Pseudologosのローマ読み。Pseudologosは、嘘や欺瞞の神とされる。
(上記、下巻にて説明あり。)

 

◆死せる魂

 ロシアの小説家、ニコライ・ゴーゴリが1842年に発表した小説。
詐欺師チチコフが、死んだ農夫の名義を買い集めて、大地主になろうとして
訪れる様々な人々との関係を通して、当時のロシア社会を描いた作品。
作中では、フィレンツェで頭に銃創を負っており、記憶もないという状況を悪夢と思い、
いまにも自宅で目覚めるのではないか、そして、「死せる魂」と
「ボンベイサファイア」の組み合わせのせいだと毒づくのではと想像する
シーンが登場する。

 

 

◆ボンベイサファイア

 ラム酒のメーカー、バカルディ社の子会社がイングランドで製造するジンのブランド。
サファイア色のガラスで容器が特徴的。

 

◆アカデミア美術館

 1784年に隣接するフィレンツェ美術学校の生徒の勉強の目的で
設立された美術館。ダヴィデ像など、ミケランジェロの傑作を
多く収蔵している。作中では、ラングドンが十代のころ、初めてここを訪れ、
ダヴィデ像を見たときのことが語られている。

 

◆グローブ座

 元々のグローブ座は、シェイクスピアが所属していた劇団保有の、ロンドンの劇場で、
1599年から1642年存在していた。現在のグローブ座は、1997年にオリジナルの
設計に基づいて、オリジナルから約230m離れた場所に建てられている。
(シェイクスピアズ・グローブと名付けられている)

 

◆シェイクスピアの「真夏の夜の夢」

 ウィリアム・シェイクスピアは、1564年イングランドの
ストラトフォード・アポン・エイヴォン生まれの劇作家。イギリス・ルネサンスを
代表する劇作家とされる。四大悲劇と呼ばれる「ハムレット」「マクベス」
「オセロ」「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」など、
現在でも広く知られる傑作を多く残した。
「真夏の夜の夢」も代表的な喜劇の一つで、アテネ近郊の森を舞台に、
人間たちや妖精王オーベロン、その妻ティターニアや、いたずらものの妖精パックなど
が登場する。作中では、妖精・パックを幼き日のシエナが演じ、
絶賛されたことを紹介する記事が登場する。

 

◆グレイの解剖学

 1827年イギリス生まれの外科医、解剖学者のヘンリー・グレイが、
1858年著した書物の通称(正式名称は人体の解剖学)。
この分野の書物では、古典として知られる。
作中では、シエナが8歳のときに家出した際、ロンドンの高級ホテルで
この本を読破していたというエピソードが紹介されている。

 

◆ブリオーニのスーツ

 1945年イタリア・ローマで、ナザレノ・フォンテコリとガエターノ・サビーニに
よって創業された紳士服の高級ブランド。
社名の由来は、アドリア海の、保有地として知られるブリオーニ島から。
作中では、シエナが隣人から借りたものとして、ラングドンに着せたのが
このブランドのスーツだった。

 

◆ロバート・オッペンハイマー

 ジュリアス・ロバート・オッペンハイマーは、1904年アメリカ・ニューヨーク生まれ
の物理学者。原子爆弾製造プロジェクトである、マンハッタン計画において、
主導的な役割を果たしたため、原爆の父と呼ばれる。
作中では、彼の「わたしは死神となり、世界の破壊者となった」という言葉を
シエナが引用するシーンが登場する。

 

◆ボッティチェルリの「地獄の見取り図」

 ボッティチェルリの1490年の作品で、ダンテの神曲の地獄編を描いた作品。
作中では、記憶を失ったラングドンの上着の隠しポケットにあったバイオチューブ内に
収められていたハイテク投影機で映されたのがこの絵画だった。
物語の鍵を握る重要な作品。

 「神曲」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
 2019年2月19日 23:41 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆ミュージカル「キャバレー」

 1966年にブロードウェイで初演されたミュージカル。イギリスの小説家、
クリストファー・イシャーウッドの小説「さらばベルリン」が原作。
ナチスの支配が強まるベルリンの場末のキャバレーを舞台に、
イギリス人歌姫・サリーと、作家志望のアメリカ人クリフとの恋を描いた作品。
同年のトニー賞では、最優秀ミュージカル賞他8部門を受賞した。
作中で、ラングドンが講演会で引用した「ヴィルコメン、ビアンヴニュ、ウェルカム」
の台詞が有名。

 

◆サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

 フィレンツェにあるカトリックの教会で、ドゥオーモ(大聖堂)、ジョットの鐘楼、
サン・ジョヴァンニ洗礼堂の3つの建築物で構成される。1296年から140年以上を
掛けて建築された。白、緑、ピンクの三種類の大理石で彩られた外見が美しい、
フィレンツェを代表する建築物。作中でも重要な役割を果たす。


「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
左から、洗礼堂、大聖堂、ジョットの鐘楼
2018年7月14日 2:46 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆システィナ礼拝堂

 ヴァチカン市国のヴァチカン宮殿にある礼拝堂で1481年に完成。
サン・ピエトロ大聖堂に隣接する。ボッティチェルリ、ピントゥリッキオ、
ペルジーノら、盛期ルネサンスを代表する芸術家たちの作品で彩られているが、
中でも、ミケランジェロの「最後の審判」は彼の代表作となっている傑作。

Last Judgement (Michelangelo).jpg
「最後の審判」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2019年1月26日 3:45 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆ボーボリ庭園

 フィレンツェにある庭園で、メディチ家の宮殿であるピッティ宮殿に隣接している。
45,000平米の広大な敷地に、彫像、噴水、劇場に加え、作中でラングドンと
シエナが隠れたシーンが登場する洞窟まで、様々な見どころがある。

 

◆ピッティ宮殿

 16世紀に建てられたルネサンス様式の広大な宮殿で、
トスカーナ大公の居館として使用された。
作中でもラングドンらが通った、ヴァザーリの回廊を経て、ウフィツィ美術館
と繋がっている。


「ピッティ宮殿」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年10月8日 7:00 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆外交問題評議会

 Council on foreign relations、略称CFRは、1921年に設立された超党派の組織で、
アメリカ・ニューヨークに本部を置く。メンバーには政府や公的機関、議会、大企業、
大学などの要人が多く含まれる。組織の目的は、アメリカの外交問題、世界情勢を
研究することで、成果を季刊誌「フォーリン・アフェアーズ」にて報告している。
作中では、シンスキーがゾブリストに呼ばれて行ったのがこの組織の本部だった。

 

◆スタンダード石油

 1870年にアメリカ・オハイオ州にて、ジョン・ロックフェラーによって設立された
石油会社。19世紀末には、アメリカ国内の石油製造能力の大部分を保持する独占企業
であったが、1890年に制定されたシャーマン法(アメリカ最初の独占禁止法)を
きっかけとして1911年に34の会社へ解体された。
かつての重役の自宅が、現在の外交問題評議会本部になっていると、
作中で紹介されている。

 

◆ドレ

 ポール・ギュスターヴ・ドレは、1832年フランスはストラスブール生まれの画家。
挿絵を多く手掛け、聖書の挿絵の他、ダンテ、バルザック、ラブレー、ペロー、
エドガー・アラン・ポーなどの作品の挿絵を描いた。
作中では、ゾブリストがシンスキーに最初に見せた画像が、彼の作品だった。

 

◆ビルとメリンダのゲイツ夫妻

 ビル・ゲイツは1955年アメリカ・シアトル生まれの実業家、プログラマー、慈善家。
1977年にポール・アレンと共にマイクロソフトを創業。
コンピュータ用OS、Windowsの成功で財を成し、現在では世界トップクラスの富豪。
一方で、作中で紹介されているように、慈善活動にも力を入れており、
父と、妻のメリンダと共に設立した「ビル&メリンダ財団」は、
世界最大の慈善基金財団となっており、世界における病気、貧困への挑戦を目的としている。

 

◆ゲルフ党とギベリン党

 ゲルフ党(教皇党)とギベリン党(皇帝党)は12~14世紀のイタリアを二分し、
対立した勢力。聖職叙任権闘争に始まる、教皇と神聖ローマ皇帝の対立がきっかけ。
作中では、ダンテがこの争いに巻き込まれてフィレンツェを追放されることになったと
いうエピソードが紹介されている。

 

以下、中巻へ続く。

 

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