※この記事では、講談社文庫版の3巻のみについて記述しています。
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調べたくなる言葉
◆海泡石のパイプ
海泡石は主にトルコで産出する鉱物で美しい白色で、熱に強いため、
パイプによく使われる。(こちらの「黒猫館の殺人」の記事も参照ください)
◆カンナの花
カンナ科カンナ属の植物。夏から秋に花を咲かせる。
作中では、浦登望和がアトリエの壁一面に描いていた絵の隅に描かれていた。
「カンナ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2013年3月24日 12:40 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆火掻き棒
本来は、暖炉の薪の位置を調整するなどの用途で使われる棒。
本作では、玄遙を殴るのに使われたが、ディクソン・カーの
「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」などで同じように凶器として使われるほか、
シャーロック・ホームズシリーズの「まだらの紐」にも登場するなど
ミステリーではメジャーな凶器。
◆ポール・ヴェルレーヌ
1844年、フランス・メス生まれの詩人。
ボードレール、ランボーらと共に、デカダンス(フランス語で退廃的な)の
詩人として知られる。
作中では、卓蔵が自殺した際に、ベッド脇の小机に彼の詩集が置かれており、
そこに遺書が挟まれていた。
◆聖痕(スティグマ)
キリスト教でいう聖痕は、イエス・キリストが磔になった際についた傷のこと。
作中では、玄児が暗黒館の火事で一度、死んでから復活した後に残っていた傷のことを、
柳士郎が聖痕と呼んだ。
◆東方見聞録
ヴェネツィアの商人、マルコ・ポーロが、1271年に父、叔父と共に経験した
アジアへの旅の内容を口述筆記したもの。
イスラエル、トルコ、イラン、アフガニスタンなどを経由して、中国に至り、
元のクビライの宮廷にしばらく滞在したとされる。
そこで耳にした日本=黄金の国という噂を書き残したことで、
後に大航海時代に大きな影響を与えた。
◆天正遣欧使節
1582年、九州のキリシタン大名・大友宗麟らによって、ローマへ派遣された使節団。
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4名の少年が中心。
インドから、喜望峰を回り、ポルトガル、スペイン経由で1585年イタリアへ至る。
ローマにて教皇と謁見後、作中にあるように、ヴェネツィアへも訪問している。
秀吉による伴天連追放令発布後の1590年帰国。
◆カルネヴァーレ、ヴェネツィアの仮面
カルネヴァーレ(英語ではカーニバル)は、現在では年に1回、1月末から3月の間で、
2週間ほど行われる(時期は毎年異なるが必ず最後は火曜日)。
開催時期が毎年異なるのは、カーニバル(謝肉祭)の起点となる、
イースター(復活祭)の日が毎年異なるため。
(春分の日後、最初の満月の次の日曜日がイースター。
その前の節制する40日間を四旬節と言い、さらにその直前に行われる祝祭がカーニバル)
18世紀末のナポレオンの侵攻により、カルネヴァーレは一時断絶したが、
1979年に再開された。参加者が仮面を着用し、仮装をしていることが特徴。
ヴェネツィアの仮面については、こちらの「時計館の殺人」の記事参照。
◆吸血鬼ドラキュラ
吸血鬼ドラキュラは1897年に刊行されたブラム・ストーカーによる小説。
何度も映画化されているが、1958年公開のものと、1992年公開ものが著名。
1958年のものは、テレンス・フィッシャー監督、クリストファー・リー主演。
ホラーの傑作として名高い。
ところで、ドラキュラのモデルとなったとされるのは、
15世紀のワラキア公(現在のルーマニア南部)、ヴラド3世。
ヴラドと浦登。作中で玄児は、「吸血鬼じゃないよ、俺たちは」と言っているが、
浦登家のモデルもやはり、ヴラド3世なのかもしれない。
◆エリザベート・バートリ
1560年生まれのハンガリー王国の貴族で、若い女性を650人殺したとされ、
血の伯爵夫人の異名を持つ。それだけ多くの殺人を犯した理由は、
若い女性の生き血を浴びることで、自らの若さを保つためであるとされる。
最終的に、彼女は裁判に掛けられたが、身分の高さ故に死刑とはならず、
自身の居城チェイテ城(現在のスロバキア)に生涯幽閉されただけで済んだ。
◆ジル・ド・レ
1405年生まれのフランス貴族。1429年のオルレアン包囲戦において、
ジャンヌ・ダルクに協力し、フランスを勝利に導いたことで救国の英雄と呼ばれた。
しかし、ジャンヌの処刑に絶望したため、かどうかは定かではないが、
所領に戻った彼は、何百人と言われる少年を誘拐し、凌辱と虐殺を繰り返した。
別件の揉め事で居城に調査が入り、そこで彼の所業は明るみにでる。
そして、裁判に掛けられ、1440年絞首刑に処された。
ペローの童話「青髭」のモデルともされる。
◆シューベルトのピアノソナタ第20番の第二楽章
シューベルトが死の直前に書き上げたピアノソナタ3部作の一つ。
作中では、美鳥と美魚が弾いていた。「私」は、
緩やかなテンポの仄暗い旋律だけれど、「グノシェンヌ」のような陰鬱さや気怠さはなく、どこかしら悲劇的で哀切感の漂う
と感じていた。
フランツ・シューベルトは1797年当時神聖ローマ帝国のウィーン生まれの作曲家。
31歳で若くして死去するまで多くの曲を残したが、特に歌曲の分野で優れていたため、
歌曲の王とも呼ばれる。
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