調べたくなる言葉
◆オーティス・レディング「ドック・オブ・ザ・ベイ」
オーティス・レディングについては、「てのひらの闇」の記事参照。
「ドック・オブ・ザ・ベイ」は、彼の最大のヒット曲で、全米1位を記録。
作中では、堀江が柿島の病院に行く途中で口笛で吹いていた曲&前日に
ブルーノで堀江がナミのアルトサックスで延々聞かされた曲。
◆テネシー・ワルツ
1948年に発表されたアメリカのカントリー歌曲。様々な歌手によって歌われたが、
1950年にパティ・ページがカバーしたものが最大のヒットを記録。
作中では、堀江の携帯電話の着信音に使われていた。
◆ミュスカデ
フランスのロワーヌ川河口付近の地域で作られる白ワイン。
さっぱりとした味わいの辛口ワイン。作中で、柿島が好んで飲んだワイン。
◆ブルーノでナミがアルトサックスで吹いた曲
■人の気も知らないで
1899年フランス・パリ生まれのシャンソン歌手、ダミアが1931年に歌った曲。
■アカシアの雨がやむときに
1960年に西田佐知子の歌で発表された楽曲。
■チュニジアの夜
1942年ジャズ・トランペット奏者ディジー・ガレスピーと、
ピアニストのフランク・パパレリの共作で作られた楽曲。
現在では、ジャズのスタンダード・ナンバーとなっている。
◆パウル・クレー
パウル・クレーは1879年スイス生まれの画家。ワシリー・カンディンスキー、
フランツ・マルクらが結成した「青騎士」と呼ばれる芸術家グループ
(同グループが発行していた芸術年鑑誌の名前でもある)に参加。
前衛的だが、キュビズムにもシュルレアリスムとも異なる、
個性的な絵画を残した。作中では、サンショーフーズの三上社長の好きな画家。
「パウル・クレー」より「ホフマンへの話」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年12月18日 6:28 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆大いなる幻影
1937年に制作されたフランス映画。第一次世界大戦を舞台にドイツ軍の捕虜となった
フランス兵とドイツ兵との友情を描くことで、人道主義の観点から反戦を主張した映画。
作中で、この映画に登場する主人公の敵役のドイツ将校役を演じたシュトロハイムに、
サンショーフーズの三上社長が若いころよく似ていると言われたというエピソードあり。
「エリッヒ・フォン・シュトロハイム」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年5月11日 20:34 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆マル・ウォルドロン「レフト・アローン」
マル・ウォルドロンは、1925年アメリカ・ニューヨーク生まれのジャズ・ピアニスト。
「レフト・アローン」は、1959年の楽曲でジャズのスタンダード・ナンバーと
なっている。作中で、柿島の通夜の夜、ブルーノで流れていた曲。
しんみりしたこの曲を聴いていたということは、ナミにとって他人に見られたら
恥ずかしい姿であったため、直ぐに次の項目の曲に変えられた。
◆ウィントン・ケリー「ケリー・ブルー」
ウィントン・ケリーは、1931年ジャマイカ生まれのジャズ・ピアニスト。
「ケリー・ブルー」は、1959年のナンバー。
作中では、柿島の通夜の夜に、堀江がブルーノを訪れた時に、
「レフト・アローン」に替わって流された曲。
◆ウィントン・ケリー「朝日のようにさわやかに」
「朝日のようにさわやかに」は元々は1928年ジグマンド・ロンバーグが作曲した
楽曲だが、長年アメリカのジャズ・ミュージシャンによって演奏され、
スタンダード・ナンバーとなっている。
ウィントン・ケリーは1959年にカバーしている。
作中では、前項目に次いでブルーノで流れた曲。
◆エルメスのケリーバッグ
エルメス社は1837年フランス・パリで、ティエリー・エルメスが開いた
馬具工房から始まり、バッグ、香水、腕時計等装飾品を手掛けるブランド。
ケリーバッグは、同社を代表する製品の一つであり、女性用のフォーマルハンドバッグ。
台形のフォルムに被せ蓋のついた形状で、蓋に錠が付いていることが特徴。
元々は、「サック・ア・クロア」という商品名だったが、
モナコ公妃グレース・ケリーがパパラッチに長女の妊娠を悟られないために、
カメラを向けられた際に、このバッグでお腹を隠したことから、有名になり
現在のケリーバッグという商品名となった。
作中では、大原の所有物のうち、群を抜いて高価と紹介。
「ケリーバッグ」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年4月21日 13:30 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆ピアジェ
1874年スイスで創業した高級時計及びジュエリーのメーカー、ブランド。
伝統的に薄型時計を重視している。作中では、ホストの結城が付けていた時計。
◆コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」
ジョン・コルトレーンは、1926年アメリカ・ノースカロライナ州生まれの
ジャズ・サックス奏者。20世紀ジャズの巨人のひとり。
「マイ・フェイバリット・シングス」は、1961年に発表した同名のアルバムへの収録曲。
ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌として有名。
作中では、堀江と大原が三上を初めてブルーノへ連れて行ったときに掛かっていた曲。
◆アニタ・オデイ「君去りし後」
アニタ・オデイは、1919年アメリカ・シカゴ生まれのジャズ・シンガー。
「君去りし後」は元々は1918年にターナー・レイトンが作曲したポップス。
作中では、堀江がオフィスで聴いていたCD。
◆サラ・ヴォーン「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
サラ・ヴォーンは、1924年アメリカ・ニュージャージー州生まれの
黒人女性ジャズ・シンガー。
「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、元々1937年にリチャード・ロジャースと、
ロレンツ・ハートにより作詞・作曲され、ミュージカル「ベイブス・イン・アームス」
で使用された楽曲だが、現在ではジャズのスタンダード・ナンバーとなっている。
作中では、堀江が丸山を襲った後で訪れたブルーノで流れていた曲。
ストーリー上の謎・ネタバレ
◆柿島を殺した犯人は誰か?
直接暴行を加えて殺したのは、ハンプトンズ証券で、柿島奈穂子の秘書
を務める長浜。しかし、その前に、まず、柿島を食事に誘ったのは、
メイマートの丸山で、食事後、偶然を装って二人と出会い、
柿島を近くのアルス視察にかこつけて犯行現場まで連れて行ったのは
メイマート取締役の北島。長浜が柿島を暴行している最中、
仲間の若者のごとくその場にいたのは、北島の明和物産時代の部下2名。
◆柿島はなぜ殺されたのか(なぜ襲われたのか)?
主犯は、長浜と北島の二人だが理由はそれぞれに別。
北島は、事件があった数日後に開催予定だったFC加盟店連絡会議全国大会で、
柿島が基調講演することを知り、それを何としても阻止するため。
長浜は、奈穂子を横恋慕しており、その夫である柿島を憎んでいたと考えられるため。
◆なぜ北島は柿島が暴行されたことを警察へ訴えないと確信していたのか?
仮に、柿島が警察に北島らからの暴行を訴えようとした場合、
その原因として、ニューヨーク時代に奈穂子が過失致死とはいえ、
息子を殺してしまったことまで話さざるを得なくなる。
柿島はそれを望まないという確信が北島にはあったため。
コメントを残す