「QED」シリーズの第8作。
1996年4月の出来事。
この年、桑原崇は29歳、棚旗奈々は27歳。
調べたくなる言葉
◆開高健、小津安二郎、田中絹代、日本の空手を作り上げた人
全て円覚寺に墓を持つ著名人。開高健は、1930年生まれの小説家で、
代表作に芥川賞を受賞した「裸の王様」や、「輝ける闇」「玉、砕ける」など。
小津安二郎は、1903年生まれの映画監督、脚本家。小津調と呼ばれる、
独自の映像世界、映像美を持っていた。代表作に「東京物語」など。
田中絹代は、1909年生まれの女優で、日本映画の黎明期を代表するスター。
代表作に、「愛染かつら」「雨月物語」「楢山節考」など。
「日本の空手を作り上げた人」はおそらく、1868年沖縄生まれの空手家、
船越義珍のことと思われる。彼は初めて本土に空手を紹介した人物として知られる。
◆京都の安井金毘羅宮
作中で、東慶寺と同じ縁切りのお寺として沙織が話す。京都市東山区にある
通称「縁切り神社」と呼ばれる神社。祭神は、崇徳上皇、大物主神、源頼政。
◆小林秀雄、高見順、西田幾多郎、和辻哲郎
全て東慶寺に墓を持つ著名人。小林秀雄は、1902年生まれの文芸評論家で、
近代日本の文芸評論を確立した人物。
高見順は、1907年生まれの小説家、詩人。代表作に「故旧忘れ得べき」
「如何なる星の下に」「高見順日記」など。
西田幾多郎は、1870年生まれの哲学者で京大教授として哲学研究の一派、
京都学派の創始者として知られる。西田哲学と呼ばれる独自の、近代哲学に
仏教思想、西洋哲学の融合を図った。代表作に「善の研究」など。
また、彼が思索に耽った琵琶湖疏水沿いの道は、
現在では哲学の道として整備されている。
和辻哲郎は、1889年生まれの哲学者、倫理学者。日本的な思想と西洋思想を
融合させた思想体系を確立。主な著作に「古寺巡礼」「風土 人間学的考察」など。
◆素戔嗚尊、大国主、長髄彦、温羅、アテルイ
全て時の朝廷に敗れて「神」として祀られるようになった人々。
素戔嗚尊は、伊弉諾尊と伊弉冉尊の子、天照大神の弟であるが、
乱暴狼藉を働いたとして高天原を追い出されている。
大国主は、素戔嗚尊の子孫であり、出雲に一大勢力を築いたが、天照大神に
国譲りを迫られ、明け渡した。(詳細は「QED 六歌仙の暗号」の記事参照)
長髄彦(ながすねひこ)は、大和地方の豪族であり、
神武天皇の東征時に抵抗し敗れた。
温羅(うら)は、伝承上の人物(鬼とも言われる)で、岡山県南部の吉備地方
の支配者であったが、第10代天皇、崇神天皇が派遣した吉備津彦命に敗れた。
アテルイ(阿弖流為)は、平安時代初期の蝦夷の支配者で東北地方で勢力を
誇ったが、征夷大将軍、坂上田村麻呂らが率いた朝廷軍に敗れた。
◆大佛次郎、里見弴、川端康成、芥川龍之介、久生十蘭、澁澤龍彦
全て鎌倉の街を愛した文豪として作中で紹介されている人物。
大佛次郎は、1897年生まれの小説家で時代小説の「鞍馬天狗」シリーズが
特に著名。1964年に文化勲章受章。
里見弴は、1888年生まれの、白樺派に属する小説家で、代表作に「善心悪心」
「多情仏心」など。菊池寛賞などの文芸賞の他、1959年には文化勲章を受賞。
川端康成は、1899年生まれの小説家で、幽玄な日本の美を表現し、数多くの
名作を残した。代表作に「伊豆の踊子」「雪国」「古都」などがあり、
国内の数々の文学賞の他、1968年にはノーベル文学賞を受賞。
芥川龍之介は、1892年生まれの小説家で「地獄変」や「羅生門」、「鼻」
「藪の中」など多くの優れた短編小説を残した。
久生十蘭は、1902年生まれの小説家で、ミステリや時代小説、ノンフィクション
など多彩な作品を残した。代表作に「鈴木主水」「母子像」「肌色の月」など。
1952年に直木賞を受賞している。
澁澤龍彦は、1928年生まれの小説家、フランス文学者。代表作に「唐草物語」
「高丘親王航海記」などの小説の他、ジョルジュ・バタイユの「エロティシズム」
などの翻訳の仕事も行っている。文学賞では泉鏡花賞を受賞している。
◆夏目漱石の「門」「こころ」、有島武郎の「或る女」、川端康成の「千羽鶴」
全て作中で、北鎌倉の地が登場する文学作品として紹介されている。
「門」は、1910年に朝日新聞に連載された長編小説で、「三四郎」「それから」
に続く、前期三部作の最後の作品。親友を裏切って妻を奪った主人公は、
罪悪感から鎌倉の禅寺を訪れる。
「こころ」は、1914年に朝日新聞に連載された長編小説で、仕事をせず、妻と
ひっそりと暮らす「先生」と、大学生である「私」が、鎌倉・由比ヶ浜の
海水浴場で出会うところから物語は始まる。
「或る女」は、1919年に刊行された長編小説。実在の人物をモデルに、
野心溢れる恋多き女性を主人公に、彼女の自由奔放な振る舞いとその破滅が
描かれている。葉山や横浜といった鎌倉周辺が度々登場する。
「千羽鶴」は、1952年に刊行された長編小説で、主人公の太田夫人は、
今は亡き不倫相手の息子、三谷菊治と出会ったことで物語が始まるが、
その舞台が鎌倉・円覚寺で催された茶会であった。
◆エスカー
江ノ島にある有料の上り専用のエスカレーター。江ノ島電鉄が運営する。
上りしかないため、この名がある。
「江ノ島エスカー」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2019年5月28日 5:47 (UTC) URL : https://ja.wikipedia.org
◆津山三十人殺し
1938年5月21日未明に、現在の岡山県津山市にて発生した大量殺人事件。
改造猟銃や日本刀で、住人が次々と襲われ、2時間程度で30人が殺害された。
犯人は当時21歳の都井睦雄で、遺書によると、結核を患っていた彼は、それがために
それまで懇意にしていた女性から遠ざけられたことで不満を募らせていたため
とされる。彼は、犯行後、遺書を残して自殺している。あまりに衝撃的な
事件のため、横溝正史「八つ墓村」や西村望「丑三つの村」の題材となっている。
ストーリー上の謎、ネタバレ
◆本当の鎌倉とは
・名前の由来
「かまば」=野原で死体を焼く場所から「鎌」が、
「倉」=「蔵」=「谷」=山と山の暗い場所からきている。
・幕府が置かれた理由
防衛に便利な場所だったと一般的には言われている。桑原は交通の要衝
である七口を押えてしまえば、外から中だけでなく、中から外の連絡も
断つことができるというところから、北条氏が頼朝を逃がさないために、
閉じ込めておくために、鎌倉を選んだのではと述べている。
・鎌倉十井、五名水
実際には、鎌倉には飲み水に適した水が少なかったことから、
逆に飲み水に適した水の名前が残った。飲み水に適さない理由は、鉄分が多いため。
・将軍家の不幸
源頼朝は、落馬時の怪我が元で死亡したとされているが、その死後は墓の場所も
分からない状態だった。
二代将軍頼家は、北条氏の勢力圏である修善寺へ幽閉され、そこで暗殺。
三代将軍実朝は、実朝の右大臣就任の拝賀の式典で、多数の警護の武士や見物の人々が
ひしめく衆人環視の、一見不可能な状況で暗殺された。
⇒以上から、鎌倉とは北条氏が源将軍家を閉じ込めておき、不要になれば
処分して実権を握ってきた場所であるということができる
◆稲村モールドの事件について
・竜願寺社長の失踪の謎
最初の事件が発生した時には、既に社長は亡くなっていた。
店頭公開を目前に控え、トラブルを恐れた副社長以下が結託して
その事実を隠していたため、最初の事件の時に事実との齟齬が発生してしまった。
・第一の事件の真相
交際をしていた社長秘書の枝川と、副社長秘書の姫路が別れる別れないで揉め、
はずみで姫路は枝川を殺してしまった。そこを社長死亡の事実を知らない
坂下に見られてしまったため、失踪事件に発展してしまった。
・笹岡部長の死の謎
笹岡部長を殺したのは副社長の宗像。笹岡は今すぐの上場は無理だと考え、
逆に社長死亡隠しをネタに宗像を強請ったため、宗像がかっとなって殺してしまった。
その際、宗像が会社にいることは坂下しか知らなかったため、彼女が機転を
効かせて、非常階段扉の鍵を掛けたことで、笹岡を事故死に見せかけることができた。
(事件は、小松崎が同席の場で発生したが、坂下は非常階段の扉が開いていることを
そのまま言わずに「ここはダメです」と言ったことで小松崎には嘘だと
認識されずに済んだ)
また、坂下は宗像の子を妊娠しており、その子のために宗像を利用しようと
考えていたため、上記のような工作を行った。
<次回作>
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