「QED ~ventus~ 熊野の残照」の謎・ネタバレ

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QED ~ventus~ 熊野の残照 (講談社文庫)

 

「QED」シリーズの第10作。
1996年11月の出来事。
この年、桑原崇は29歳、棚旗奈々は27歳。

 

調べたくなる言葉

 

◆野口雨情

 1882年茨城生まれの詩人、童謡作家。北原白秋、西条八十とともに、
童謡界の三大詩人と称された。代表作に作中で紹介されている「七つの子」
の他、「十五夜お月さん」「赤い靴」など。

 

◆橋杭岩

 作中でも登場する串本町にある観光名所。
大小40の岩が、850mに渡って続く姿が、橋の杭のように見えることから
この名で呼ばれている。


「橋杭岩」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2019年8月13日 6:59 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆同行三人

 熊野旅行の道中のバスで、桑原、奈々と三人で後部座席を占有した神山禮子の
独白に見える言葉。四国巡礼の遍路が笠に書きつける「同行二人」を
もじった言葉と思われる。同行二人は、弘法大師がいつも一緒にいるという意味。

 

◆日本一の高さを誇る鳥居

 熊野本宮大社の旧社地、大斎原に立つ鳥居。本作の舞台の4年後、
2000年に完成。高さ33.9m、横42mと日本一の大きさを誇る。


「熊野本宮大社」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2020年1月18日 7:41 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆ロンドンデリーの歌、亡き王女のためのパヴァーヌ

 前者は奈々の、後者は神山禮子の携帯着メロ。ロンドンデリーの歌は、
アイルランド、特に北アイルランドの民謡(曲名は北アイルランドの州名による)
 後者は、1899年にフランスの作曲家、モーリス・ラヴェルが作曲したピアノ曲。
パヴァーヌは16,7世紀にヨーロッパの宮廷で広まっていた舞踏。

 

◆ボイラー・メイカー

 作中で小松崎が地ビールの缶に持参のスキットルからウイスキーを垂らして
即席で作ったカクテル。本来はグラスに注いだビールの中に、ショットグラスごと
バーボン・ウイスキーを沈めて作る。ビールとウイスキーの比率は約3:1。
カクテル名は、諸説あるが、アメリカの発電所のボイラー建設作業者が
飲んでいた、飲むとボイラーのように熱くなるためなどの説がある。

 

◆ドッグ・ノーズ

 小松崎のボイラー・メイカーに対抗して桑原が作り始めたカクテル。
同じく持参のスキットルに入れたジンを缶ビールに注いで作成。
ドッグズ・ノーズとも。本来は冷やした大型グラスに先にジンを注ぎ、
そこにビールを注いでステアして作る。ビールとジンの比率は2:1。

 

◆フィガロの結婚

 作中で初夜権がヨーロッパにもあった風習であることを説明する際に、
桑原が引用した作品。1778年にフランスの劇作家ボーマルシェが制作した
風刺的な戯曲を元に、1786年にモーツァルトが作曲したオペラ。
 貴族を痛烈に批判する内容となっており、その中で、登場する伯爵が
初夜権の復活をもくろむ場面がある。

 

ストーリー上の謎、ネタバレ

◆神山禮子の独白について

 旅行本編に挿入される形で語られる神山禮子が熊野を離れた経緯が語られるが、
そこにはトリックがあり、4回ある「告白」or「独白」のうち、
最初の一回のみ神山禮子の語りであるが、残りは彼女のおばの神山鈴枝のもの。
鈴枝が「レイちゃん」と呼ばれていたこと、二人とも同じように父親に犯される
体験をしていることがカムフラージュとなっているのだが、このことによって
明らかになる重要なことは、神山禮子は父親を殺してはいない、ということ。

 

◆熊野三山の神々の正体について

 熊野速玉大社の主祭神、速玉大神、熊野那智大社の主祭神、夫須美大神、
そして熊野本宮大社の主祭神、家都御子大神の三神は正体不明の神とされているが、
桑原はその謎を解き明かしたと主張する。
 すなはち、速玉大神=饒速日命、夫須美大神=丹敷戸畔、家都御子大神=長髄彦
であるとしている。それを桑原は、陰陽五行説で説明している。
速玉大社…東、薬師如来、木、青=(今の)緑=木=梛の木
那智大社…南、観音菩薩、火*1
本宮大社…西、阿弥陀如来、金、白=素=素戔嗚尊(長髄彦が仮託されている)

五行の残りのうち、土=熊野古道、水=熊野川であるとし、
本宮大社(金)→熊野川(水)→速玉大社(木)→那智大社(火)→熊野古道(土)
と繋がることが、本宮大社から速玉大社を通って那智大社へという参拝の
ルートになっていると説明する。

*1 那智のお祭りが火祭りである理由はこのためだとしている 

 また、三神のうち、速玉大神、夫須美大神の二神は怨霊として祀られている。
その理由は、両者が神武東征時に熊野で殺されているため。
 逆に、家津御子大神は怨霊として祀られていない。それは、熊野では
殺されていないことを意味しており、そのことが、家津御子大神が後から
祭神に加わったことを示していると桑原は語る。

 

<次回作>

 

 

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