「QED 百人一首の呪」の謎・ネタバレ

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「QED」シリーズの第1作。
1992年10月の出来事。
この年、桑原崇は25歳、棚旗奈々は23歳。

 

調べたくなる言葉

◆ハロルド・クローアンズ

 1937年アメリカ・イリノイ州シカゴ生まれの神経科医。臨床医や研究者として
活躍する一方、医学エッセイや小説を著した。代表作に、
「失語の国のオペラ指揮者」「インフォームド・コンセント」など。作中冒頭で、
彼の言葉が引用されている。

 

◆黒ミサ

 サタン崇拝者の儀式で、サバトとも呼ばれる。ローマ・カトリックの神を冒涜する
為の儀式。桑原や奈々らが所属していたオカルト同好会とは親和性が高い用語だが、
作中で奈々が回想するように、少なくとも桑原が会長を務めていた頃には、
縁がなかったようだ。

 

◆薔薇十字団

 17世紀初頭のドイツにて誕生したとされる秘密結社。15世紀に存在したとされる、
伝説的な人物クリスチャン・ローゼンクロイツの遺志を継ぎ、錬金術や魔術など
古代の知識を通じて、人知れず、世の人々を救う団体とされた。錬金術、魔術のように
オカルト同好会と親和性の高い用語だが、黒ミサと同じように奈々がいた頃には
縁がなかったらしい。

 

◆カルロス・クライバー

 1930年ドイツ・ベルリン生まれの指揮者。名指揮者でベルリン国立歌劇場の
音楽監督を務めていたエーリヒ・グライバーを父に持つ。
 1954年にポツダムの劇場で指揮者デビューを果たして以降、
バイエルン国立歌劇場や、ウィーン国立歌劇場、ロンドンのロイヤルオペラ、
シカゴ交響楽団などでタクトを振るい、世界的な名声を博した。
 彼は一度も特定の楽団や歌劇場と常任契約を結んだことがなく、
また、作中で外嶋が話しているように80年代後半からは、指揮すること自体が
年に数度と少なくなっていたことから、物語の舞台である1992年に来日すると聞いた
外嶋がそのオペラ公演を「どうしても外せない重大な用事」と表現するのは、
無理のないことだと思われる。

 

◆ヴェルディの「オテロ」

 ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディは、
1813年現在のイタリア・パルマ近郊生まれのイタリア・ロマン派を代表する作曲家。
「ナブッコ」「アイーダ」「椿姫」などのオペラ作品を多く残す。
 「オテロ」は、1887年に初演された4幕からなるオペラで、
シェイクスピアの悲劇「オセロ」をオペラ化した作品。

 

◆ギムレット

 ジンとライムジュースをシェイクして作られるカクテル。ギムレットは「錐」の意。
シリーズを通して、桑原が愛飲するカクテル。

 

◆ギムレットには遅すぎる

 アメリカのハードボイルド小説家、レイモンド・チャンドラーの作品、
「長いお別れ」の中で、登場人物のテリー・レノックスが主人公の
フィリップ・マーロウに掛けた言葉「ギムレットには早すぎる」を
小松崎がもじった台詞。

 

◆「白露に風の吹きしく秋の野は」と文屋朝康

 文屋朝康は平安時代前期の官人、歌人。官人としては、従六位下、大膳少進
などを務めた。歌人としては古今和歌集成立直前の時期に活躍。
 後撰和歌集、小倉百人一首に収録されている「白露に風の吹きしく秋の野は
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける」の歌は、草葉の上で光っている露の玉に、
風がしきりに吹き付ける秋の野原は、まるで紐に通して止めていない真珠が
散り乱れて吹き飛んでいるようだった、という意味。作中では、
真榊大陸が死の際に掴んだ読み札がこの歌のものだった。

 

◆「吹くからに秋の草木のしをるれば」と文屋康秀

 文屋康秀は、朝康の父で同じ平安前期の官人、歌人。官人としては、
正六位上、縫殿助などを務めた。歌人としては、六歌仙の一人に選ばれている。
 古今和歌集、小倉百人一首に収録されている「吹くからに秋の草木のしをるれば
むべ山風を嵐というらむ」の歌は、山から秋風が吹くと、草木がしおれていく。
だから山からの風を嵐というのだなあ、という意味。作中では、この歌も
息子の朝康の作ではないかと言われていると桑原が紹介する。

 

◆尾形光琳

 尾形光琳は、1658年京都生まれの画家。呉服屋の次男に生まれ、
若い頃は放埓な生活を送ったが、40代にして本格的な絵画制作に取り組み、
大和絵を基調とした、明快で装飾的な作品を残した。代表作に、
「紅白梅図屏風」「燕子花図屏風」など。作中では、真榊大陸が、
光琳の百人一首カルタの複製を持っていると聞いた桑原が興奮するシーンが登場する。


「尾形光琳」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』より「紅白梅図(上)」、
「燕子花図(下)
2019年4月20日 17:51 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆スロージン・フィズ

 スロージン(ジンなどの蒸留酒にスローベリー=西洋スモモを漬け込んだ
リキュール)とレモンジュースとシュガーシロップをシェイクし、
その後にソーダ水を加えて作られるカクテル。作中では、奈々が飲む機会が多い。

 

◆平安神宮

 1895年(明治28年)に平安遷都1100年を記念して、京都市左京区に創建された
神社で、平安遷都を行った桓武天皇と、平安京で過ごした最後の天皇である
孝明天皇が祀られている。作中では、真榊邸が都心にも関わらず、別世界のように
静かであったことから岩築警部が「平安神宮にでも来たみてえだな」と感じた。

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「平安神宮」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2019年6月5日 13:55 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆グレンモランジュの63年の樽詰め

 グレンモランジュ(グレンモーレンジィなどとも)は、スコットランド北部の
ハイランド地方にある醸造所、及びそこで造られているシングルモルトウイスキー
の名称。スコットランドを代表するウイスキーの銘柄。
 作中では、岩築警部に事情聴取された真榊静春(大陸の長男)が、
大陸の部屋にあったこの酒への執着を示して岩築警部に苦笑いされる。

 

◆中風

 脳卒中の後遺症のこと。半身不随や、顔面や腕などの麻痺などが
具体的症状として挙げられる。作中では、74歳の藤原定家が中風を病んでいた
と桑原が解説する。

 

◆紅旗征戎、吾が事に非ず

 藤原定家が残した日記「明月記」に見られる言葉で、元々は唐代の詩人、
白居易の詩句から。紅旗は皇帝の旗、転じて朝廷のこと、征戎は外敵を
征伐する戦争を起こすこと。全体としては、大義名分がある戦争であろうと、
自分には関係ないという意味。定家がこの言葉を日記に書いたのは、
1180年、18歳のときであり、同年は源頼朝が挙兵した年である。作中では、
「百人一首と百人秀歌とは一体何なのか?」「解からん」と言う桑原に、
「俺の事件はどうなる!?」と小松崎が噛みついたが、その時に桑原が返したのが
この言葉だった。

 

◆冷泉家所蔵の定家図

 冷泉家は、藤原定家の子孫にあたる家系。作中で、奈々が「細面の非常に
癇の強そうな男」と表現したのが冷泉家が所有する藤原信実作として伝わる作品。

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「藤原定家」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2019年5月31日 13:15 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆項羽と劉邦

 紀元前3世紀に、秦滅亡後の中国の覇権を争った二人。楚の王、項羽と、
漢の王、劉邦の戦いは最終的に、劉邦が勝利し漢王朝(前漢)開いた。
 作中では、プライドの高い藤原定家と後鳥羽上皇の関係を項羽と劉邦、
いや、項羽と項羽のようなものと桑原が語っている通り、性格的にもかなり
強い人物であったとされる。

 

◆物名、折句、沓冠

 物名は、物の名前を歌の中に隠して織り込む技法。例えば、「うぐいす」を
織り込んだ以下の歌。

 心から 花のしづくに そほちつつ 憂く干ずとなみ 鳥の鳴くらむ

 折句は、物名や地名などを各句の初めに織り込む技法。例えば、「かきつばた」を
織り込んだ以下の歌。

 ら衣 つつなれにし ましあれば るばる来ぬる びをしぞ思う

 沓冠は、折句の一種で、事物の名前を句の初めと終わりに織り込む技法。
例えば、「合せ薫物少し(あはせたきものすこし)」を織り込んだ以下の歌。

逢坂もはては往来の関もゐず 尋ねて訪ひこ来なば帰さじ
うさか てはゆきき きもゐ ずねてとひ なばかえさ

 

◆ブロッケンの山男

 作中では、光の錯覚の例として、蜃気楼や逃げ水などと一緒に紹介されている現象で、
ブロッケン現象で知られる。太陽などの光が背後から差し込み、影の周りにある
雲や霧などによって光が散乱し、見る人の影の周りに虹のような光輪が現れる現象。
ドイツのブロッケン山で多く観られたことからこの名がある。


「ブロッケン現象」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』
2018年11月10日 13:30 (UTC)  URL : https://ja.wikipedia.org

 

◆御手洗潔と金田一耕助

 作中では、奈々の勤める薬局と桑原の勤める漢方薬局のように、
同業者だが全く違うものをの例として奈々が挙げている。
 御手洗潔は、「占星術殺人事件」に始まる島田荘司の推理小説シリーズの
主人公である探偵の名前。IQ300以上を誇り、各国の語学に堪能。15歳で
渡米し、名門大学に入学し、20歳そこそこでコロンビア大学助教授になるなど、
一般人離れした経歴を誇る。頭脳明晰なだけでなく、容姿も端麗である。
 金田一耕助は、「本陣殺人事件」に始まる横溝正史の推理小説シリーズの
主人公である探偵の名前。ぼさぼさの頭に人懐こい笑顔が特徴。真実に迫った際には、
ぼさぼさの頭を掻きむしってふけを飛ばし、どもりながら話始めるというように、
ひたすらスマートな御手洗潔とは同じ探偵でも大きく異なる。

 

◆面白きこともなき世を面白く

 幕末の長州藩士、高杉晋作の辞世の歌とされる。高杉晋作は、松下村塾で学び
尊王攘夷の志士として活躍し、長州藩を倒幕に向かわせた。
 作中では、桑原が百人一首の関連する句同士を並べて見せた際に、奈々から
とても面白いと褒められた返事として口にした言葉。

 

◆「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」

 どちらも、司馬遼太郎の歴史小説作品で、「竜馬がゆく」は坂本龍馬を主人公に、
「燃えよ剣」は新選組副長、土方歳三を主人公とする。どちらも長編小説であるため、
作中で、百人一首と百人秀歌の二つの歌集を同時に作った定家の大仕事を、
「司馬遼太郎さんが『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』の両大作を、同時に描き進めて
行ったようなもんだろうね」と桑原は語る。また、内容の観点から行っても、
作中では、百人一首と百人秀歌を金剛界曼荼羅と胎蔵界曼陀羅という同じ世界の
対置される存在を描いたものと位置付けているように、
「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」も同じ幕末という時代の尊王攘夷側と幕府側という
対置される存在を描いた作品であることも、この2作を挙げた理由と考えられる。

 

◆ミモザ

 フルート型のシャンパングラスに、シャンパンを入れ、さらにオレンジジュースを
加えてステアすることで作られるカクテル。黄色い花を咲かせるミモザがその名の由来。
作中では、奈々が「世界で一番美味しいオレンジ・ジュース、とはよく言ったものだ」
と語る。

 

◆ぺルノー、シャルトルーズ

 作中で、桑原行きつけのバー、カル・デ・サックのオリジナル・カクテルに
使われているリキュールで、そのカクテルは上半分が黄金色、
下半分が緑色に綺麗に分かれていると描かれている。
 ぺルノーは、フランスの酒造メーカー、ペルノ・リコール社が製造する
リキュールで、蒸留酒にアニスなど15種類のハーブを加えて風味を付けたもの。
澄んだ黄緑色をしている。
 シャルトルーズは、シャルトルーズ修道会で製造されているリキュールで、
ブランデーをベースに、砂糖、百種類以上のハーブを加えて作られる。
緑色のヴェールと、黄色のジョーヌと言われる種類があるが、
このカクテルでは黄色のジョーヌが使われていると考えられる。

 

ストーリー上の謎、ネタバレ

◆真榊大陸、真榊玉美を殺した犯人は?

 大陸の次男、真榊皓明が犯人。

・真榊大陸殺しについて

 皓明は、大陸にモノアミン酵素阻害薬(MAO阻害薬)を飲ませた
(MAO阻害薬は抗鬱剤の一種だが、頭痛や視神経の異常などの副作用あり)。
その上で、その日の夕食に副作用を増幅するような食品が並ぶように仕向けた。
(ワイン、チーズ、レバーなど)
 しかし、それは大陸を殺すためではなく、彼を苦しめるためだった。
 殺すことになってしまったのは、異常を来していた大陸に会いに行ったとき、
「お前だって本当にわしの子供かどうかは分らんよ」と言われ、かっとなって、
ベッドサイドの壺で殴り殺した。

・大陸殺しの動機

 直接の動機は上記の通りだが、皓明が大陸を苦しめようと考えたのは以下理由から。
 皓明の母は、大陸が島根に住んでいた頃の恋人で、大陸に捨てられたが、
妊娠していた。その子供が皓明だった。皓明は母のように、自分のせいで
死んでいった人々の苦しみを大陸に思い知らさせるために薬を飲ませた。

・真榊玉美殺しについて

 首吊り自殺に見せかけて絞殺した。

・玉美殺しの動機

 皓明が大陸を殺し、部屋から出てきた際に玉美に見られたため。
警察は玉美から上手く話を聞き出すことができていなかったが、彼女は
「嘘をつかない」ため、いつ話してしまうか恐れたため。

・大陸殺しの際の皓明のアリバイについて

 皓明のアリバイは、お手伝いの柿崎里子の目撃証言により、確認されていた。
しかし、彼女は記憶力自体は優れているのだが、順番を覚えるのが苦手だった。
つまり、事件当日、皓明を見たタイミングが記憶と実際で食い違っていたため、
本来はアリバイが無いはずの皓明のアリバイを確認してしまったのだ。

・大陸が見た幽霊について

 飲まされていたMAO阻害薬&チーズ、ワインなどのせいで、視神経に
異常を来していた彼は、文字と絵の区別がつかなくなってしまった。その状態で、
廊下に張られていた百人一首を見たため、黒髪や、火の玉や浮かぶ白い着物が
見えたのだ。

・大陸のダイイングメッセージについて

 彼が死の間際に掴んだのは、「白露に風の吹きしく秋の野は 
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける」の読み札だった。つまり、
「しらつゆにかぜのふきしくあきののは」と書かれていた。その文字が画像として
見えていた彼は「白」に該当する「皓明」を指し示すためにこの札を握ったのだ。

 

◆百人一首の謎

 百人一首は定家が同時期に選んだ百人秀歌と合わせて創り上げた「歌曼陀羅」。
曼陀羅とは密教の教えを図に示したもので、「人間が本来持っている仏性の種子が、
仏の慈悲によって目覚め、育ち、花開き、そして悟るという過程」を描いた胎蔵界と
「人間の心の動き――識――が仏へと届いて行く過程」を描いた金剛界からなる。

桑原は、金剛界曼荼羅の主な仏の数、百一尊と、胎蔵界曼陀羅の中心の中台八葉院と
その左右に位置する仏を定家が固執していたシンメトリーを意識して抜き出した百尊の
位置へ、金剛界=百人秀歌、胎蔵界=百人一首の歌を置いていく。
置き方は、胎蔵界の中心に定家が思いを寄せていた式子内親王を、
金剛界の中心に定家自身を置き、そこから関係する言葉で繋がる歌を置くというもの。

 結果、胎蔵界曼陀羅では、後鳥羽上皇と順徳院の二人を、
下方=西=西方極楽浄土へ、定家自身は上方=東=此岸に配置した。
 後鳥羽上皇と順徳院の周囲には、崇徳院と菅原道真といった日本の二大怨霊を配し、
二人が人に害をなすのを防ぐ配置を取っている。さらに崇徳院と菅原道真の
周囲には、二人の縁者貞信公(左遷後も道真と交流し、死後には彼を神として祀った)、
皇嘉門院別当(崇徳院皇后の女官長)を配し、二人の怨霊自身も封じた。
 一方、上方の定家の周辺には、古今集の撰者である紀貫之、凡河内躬恒を配し、
中心には定家が心を寄せた式子内親王が配されている。

 金剛界曼荼羅では、中心に定家自身が配され、四隅には百人秀歌にしか載っていない、
一条院皇后宮、権中納言国信、権中納言長方らが四天王さながらに配されている。
 また、金剛界曼荼羅は右下から左回りに全てのものが中心に向かって収束していく
という作りになっていることから、桑原は、「ここに彼(定家)の恐るべき執念と
自負心が隠されているのでは」と感じた。
 つまり、胎蔵界曼陀羅で怨霊を封じておいて、一方、金剛界曼荼羅では、
自らを中心人物に擬えたのだ。

 

<次回作>

 

 

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